2016年3月13日日曜日

3/13 礼拝と献花

本日の献花は、庭のローズマリーでした。
典型的なハーブです。
よい香りがします。

礼拝堂が手狭な中でも、今日も多くの方が集われました。
特に、会員ご家族で、昨年八月に入院、療養を経て今年三月に退院された方を、
喜びのうちに迎えました。

本日、来週日曜と台所が使えないため、愛さんやお茶もありません。
みなさん、お足を速めて帰ってゆかれましたが、寂しい心持ちです。

来週も礼拝は以下の日程で行われます。
いずれの礼拝も、どなたさまもご自由にいらしていただきます。

 3/20(日) 
       徳山10:45~
       柳井10:30~
       防府15:30~
 3/17(木)には、
       益田14:00~ 
        六日市19:30~です。

本日の説教要旨です。



【ルカ福音書20919節】
桃栗三年柿八年といいます。葡萄は約五年で収穫可能になるとのことです。ある人、主人がブドウ園を創り、これを農夫たちに貸し旅に出ます。9節と10節との間には約5年という時間の経過があるのです。5年の歳月は人を変えるに十分ということなのでしょう。「収穫を収めよ」との主人からの言葉に、変心していた農夫たちは乱暴狼藉で追い返します。これはいわば旧約聖書の要約です。神さまが預言者を遣わすもの、人は不従順なのです。

この農夫たちの特徴は究極の自己本位です。主人はブドウ園を作り、農夫に貸す。農夫は己の分に応じた仕事をすればよいのです。だが欲心が勝ります。三人までの僕を侮辱します。これは、主人にブドウ園の所有を諦めさせる心積もりでしょう。ブドウ園の実効支配を目論む。主は、主人が農夫たちをどう扱うかを問います。厳しさが告げられます。

主人の特徴は、善良かつ寛容だということです。刑事措置を取ることはできました。しかし主人は農夫たちを信じるのです。一人息子さえも「敬い」を求めて送るのです。本当はこの主人がブドウ園に行きたかったのです。一匹を求める羊飼い、弟息子を迎える父のようにです。さて、みなさんは、この主人が農夫たちを酷く扱うと思われるでしょうか。

たとえ話で主は、主人が農夫を酷な目に遭わすと断言します。事実は違ったのです。神さまはどこまでも愛を貫いたのです。人々の暴挙をそのままにしつつ、独り子を架刑し、復活をさせたのです。「捨てた石が要石」主のことです。不従順であっても、主は私たちを導かれます。私たちは、主こそ捨てはしないでしょうでも、主のみ言葉は蔑ろにする可能性があります。それでも主は、私たちの人生の柱として、み言葉を下さいます。主のみ言葉は、当座は不明であっても、私たちの人生の柱足るものです。感謝して、受けたい。