2016年2月21日日曜日

2/21 献花と礼拝





本日の礼拝献花です。今日は、ご用事の方が多く、少ない礼拝でしたが、
それでも恵み豊かなひと時でした。

礼拝後には、召された教会員直伝という醤油ラーメンが振舞われました。
ラーメンの画像はありません、あしからず。

今週、来週とも、礼拝は以下の日程で行われます。
どなたでもご自由にお越しいただけます。

 2/28(日) 
       徳山10:45~
       柳井10:30~
       防府15:30~
 2/25(木)には、
       益田小浜にて14:00~ 
        六日市19:30~です。

本日の説教要旨です。





【ルカ福音書183143節】
「主は一人、信仰は一つ」と聖書は言います。その私たちは過ぎた一週間、互いに違うものを見ています。花鳥風月、自然の有様はもとより、職場、地域、家庭なども違います。見たいと思う例えば平和は遠く、見たくないと思う争いや圧迫などは近いものです。「見える」ということは、恵みの一つです。しかし重荷にも感じることもありますね。

主はまず受難を予告されます。これは三度目の予告です。この予告には、以前の二つの予告には無い特徴があります。それは凄惨な描写です。「侮辱、乱暴、つば、鞭打ち、殺害」と。主は視覚的な表現を用いて予告されます。その予告後、主はエリコに近づきます。道端には盲人。彼は主に憐れみを願う。先達が彼を叱り飛ばします。「邪魔」と捉えたのでしょう。だが主は「邪魔」と考えません。見えるようになった彼は主に従います。

この話の教え自体は、願いを固め、頼み続けることです。私たちとの違いで言えば、私たちは祈りが多い。多いのは良いが、一心に熱心に祈り続けることが難しい。問題の渦中当座は熱心に祈るが、次の課題が来ると当初のことを忘れる。いかがでしょうか。彼はその中で一つのことを「晴眼」を願い続けました。主は彼の一心と熱意を重んじます。

晴眼を得た彼は主に従います。主に従う者として、主の教えの対象を見もするし、花鳥風月も見たことでしょう。だが主に従う彼がその後見たのは主の苦しい状況でした。「侮辱、乱暴、つば、鞭打ち、殺害」などです。「見たくないものを見た」。だが彼はその後数日して「主の復活を見る」或いはその知らせに預かるのです。主がこの世の嵐に打倒されず、超えてゆく姿をも見たのです。私たちもそれを見ることができます。一週間の日々が控えています。聖書を通して、私たちは、私たちの一週間の出来事を導く主に頼りたい。