来週の礼拝の説教題です。
こちらは牧師が普段通る、益田への道です。
なんだか大変なことになっています。ちなみに
写真は「山口県道路情報カメラ」2017年1月24日 14時45分時点のものです。
写真は「山口県道路情報カメラ」2017年1月24日 14時45分時点のものです。
勇気ある車のわだちが見えます。もしこういう状況なら、私はここを通りませんで、
回り道をします。
本日も徳山では礼拝が行われ、礼拝後には愛さんが行われました。
今週の予定は以下の通りとなっています。
1/24(火)15:00 徳山 聖書を学ぶ会
1/26(木)13:00 益田 小浜礼拝
14:00 益田 元町教会礼拝
19:30 六日市礼拝
1/29(日)10:45 徳山 礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。
本日の礼拝メッセージは以下の通りです。
【マタイ福音書4章12節-17節】
「洗礼者ヨハネの逮捕を受けて主が退く」と聖書は冒頭語っています。文字通り読めば、師であり親族であるヨハネの捕縛を受けて、主も心を痛め、自身の身を案じ、身を隠すということです。身近の破局的出来事を前にした動揺は、私たちにはしばしば起こります。主もそうだったか。そうとも読める聖書に安心しますね。けれど、聖書はそれとは全く反対の意味も告げるのです。主は、心を痛めた処か、意気盛んに活動を始めたというのです。
この時ヨハネの逮捕命令を出したのはヘロデ王です。ヘロデ大王の息子の一人です。だがこの息子ヘロデは父の剛腕は継がず、どうでも良い腕のみを継ぐのです。何と、兄弟の妻に惚れる。欲した息子ヘロデは、ヨハネに諫められます。煩いので逮捕したのです。息子ヘロデが父から継承した領土がガリラヤでした。主がヨハネの逮捕を受けて、退いたのはヘロデの本拠地ガリラヤということです。ヘロデを恐れての隠遁なら、別の地に身を移すはずですね。それをしない、ということは、逃亡でないのです。主はこの時までヨハネの手伝いをしていたが、逮捕後、主独自の活動を始めるためにガリラヤに来たのです。それが「神の国」運動でした。
およそ宗教とは、人が神的なものに近づくことを旨とします。だが主は、人が神に近づくのでない、神が人に近づくという意味の「神の国」接近を語る。人は、そのことを受けて自身を再考する。それはイザヤの預言に暗示されています。光が与えられたのです。