2017年1月8日日曜日

1/8 礼拝と献花と予定






本日の献花です。菜の花とチューリップ、新春ですね。

本日も徳山では礼拝が行われ、その後豚汁とおにぎりの愛さんでした。

造ったのは、何と私です。

握ったのは、教会の皆さんです。


今週の予定は以下の通りとなっています。

1/10(火)15:00 徳山 聖書を学ぶ会

1/12(木)13:00 益田 小浜礼拝
      14:00 益田 元町教会礼拝

      19:30 六日市礼拝

1/15(日)10:45 徳山 礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。

本日の礼拝メッセージは以下の通りです。




【マタイ福音書21-12節】
一般的な日本社会では、12/25後、早々にツリーが倉庫に仕舞われ、門松が登場しましたね。だが本来のクリスマスは本日までです。この日の聖書も主の誕生です。このマタイ福音書では主の誕生は、ヘロデ大王が聞きました。聞いたヘロデは、言葉では拝礼の心を告げますが、その内心は疑惑と処断の心で満ちる。ヘロデの心は、どのような心だったのでしょうか。

そもそもこのヘロデは、「飴と鞭」を使い分けてユダヤを支配していました。ユダヤ教に対しては、神殿再建の業績を為します。立派な神殿を与えられたユダヤ人宗教者はヘロデを好みます。その陰の重税や威嚇を見ぬふりをするのです。主の誕生を聞いたヘロデは、民の祭司長や律法学者にその所在を訊ねます。彼らは聖書の言葉を引用して答えます。ここに、宗教者たちのヘロデへの遠慮と過ちがあるのです。6節は、旧約ミカ書引用ですが。正確でない。

原典ではベツレヘムを「小さい者/場所」としている。実際、ミカ、主の時代も寒村だった。だがベツレヘムはヘロデの領土で、宗教者たちにとってヘロデは神殿再建の庇護者でした。その庇護者の望むように勝手に聖書を改変し、ベツレヘムは「小さい者ではない」と告げます。ベツレヘムは偉大な町ですよ、統治する大王も素晴らしい王ですよ、との心持ちでしょう。ところがヘロデは「こびへつらい」を受け入れるどころか、その言葉を偉大な者の誕生」と解し、疑惑を燃やしてしまう。こびへつらう宗教者たちが、嬰児虐殺を招く要因となったのです。

このマタイ福音書の一つの見どころは、当時の宗教者への主の強烈な態度です。私たちは、み言葉をあなどることはしない。だが人の世で「強きに頭を垂れ、弱きをくじく」この宗教者たちの心に傾きがちな私たちがいます。主の誕生を知らせる星はそんな宗教者の頭上にも輝くのです。私たちも主の星に導かれるのです。導きを、心から信じたい。