本日の献花です。そろそろ、チューリップの季節です。
一週間で、つぼみが花になるでしょうか、きっと咲くでしょう。
会員子息の誕生日を記念してささげられたお花です。
来週の説教題です。「必要不可欠なあなた」。
本日も徳山では礼拝が行われ、礼拝後には愛さんが行われました。
手製のラーメンでした。
今週の予定は以下の通りとなっています。
1/31(火)15:00 徳山 聖書を学ぶ会
2/2(木)13:00 益田 小浜礼拝
14:00 益田 元町教会礼拝
19:30 六日市礼拝
2/5(日)10:45 徳山 礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。
本日の礼拝メッセージは以下の通りです。
【マタイ福音書4章18節-22節】
宗教改革者ルターの功績の一つは、聖書の翻訳です。ヘブライ語、ギリシャ語の聖書をドイツ語に翻訳したことです。自分の使う言葉で聖書が読めるように、というのがルターの願いでした。ルターは、古語の「職業」を「天職」と翻訳しました。職業とは、天職という考えを持っていたのです。この職業観、私たちには納得し難いものかもしれません。
仕事のし甲斐、という壁に時に私たちはぶつかります。聖書の漁師たちも然りでした。当時の漁師たちは、生きがい、仕事のし甲斐というものに飢えていた。主が「新しい生きがい」をお与えになったのです。当時、ユダヤは植民地でした。一生懸命に漁業を営んでも、その収入は僅かでした。「人間をとる漁師」とはそんな彼らへの招きの言葉です。今までは同胞の腹を満たす働きに従事していた彼ら、主の弟子として、ローマに虐げられている同胞の心を満たす働きに魅力を感じ、弟子としての第一歩を踏み出したのです。
ところで、この漁師たちには個性があります。先読みのペトロ、烈火のヤコブとヨハネ、そして寡黙なアンデレ。しばしば失敗をする中で、これらの個性は満遍なく発揮されています。こういう人材が弟子になっても良かったのでしょうか。良いんですね。弟子としての基準、ハードル、を下げるために、主はあえてこのような人々を選んだのです。
福音書と使徒書とでは、明らかに弟子としての責任感や使命感に違いがあります。主の弟子時代は、気概が先に立って、行為は伴わない、そういう人々でした。けれど主は、漁師たちのそんな姿丸ごとを愛されたのです。主の意に添わぬ働きをしたとはいえ、破門、追放という手段は取らないのが主です。弟子たちは、そんな主の愛に徐々にその地の自分が変えられて行くのを感じ取ったことでしょう。主の愛は、私たちにも無論及ぶのです。