こちらは本日の献花です。百合の花が開くでしょうか。きっと開きます。
来週の説教題です。腹を立てるな、に腹がたつ。説教題を付けたときの気持ちそのままです。
本日は徳山Cで聖さん礼拝が行われ、その後総会が有意義な話し合いと雰囲気の中で行われました。
今週の予定は以下の通りとなっています。
2/7(火)15:00 徳山 聖書を学ぶ会
2/9(木)13:00 益田 小浜礼拝
14:00 益田 元町教会礼拝
19:30 六日市礼拝
2/12(日)10:45 徳山 礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。
本日の礼拝メッセージは以下の通りです。
【マタイ福音書5章13節-16節】
主が最初の活動地として選ばれたガリラヤは、「死の影の地」「暗闇」と言われていました。外部の人々は、ガリラヤ地域とその人々をさげすんでいたのです。けれど主は、そういう人々に「神の国は近づいた」と宣言され、今日また「地の塩、世の光」と言われます。さて、主の言葉を聞いた人々は、言葉の内容や主の真意をどう感じたでしょうか。
自分たちの現状から遥かにかけ離れたことを言われると、疑念が先立ちます。けれど主は「地の塩」と言われます。通常の塩は、素材を引き立てます。隠し味の働きです。誰もが、隠れた働きは出来るのです。目立つことはないけれど、働きの担い手を主は祝します。私たちには、目立った働きは難しいけれど、隠れた働きなら気付くことが出来ます。
一方で光、こちらは目立つ働きです。「隠し味の働き、隠れた働きは出来ても」と思われるかもしれない。まして「見た人が神さまを崇めるようになるなんて」と思われるかもしれない。自分では思うことは多々ある。しかし私は、皆さんの教会内の働きを通して、神さまを崇めます。自身を輝かす、簡単な方法があります。それは、他者に光を見出していくことです。他者に光を見出していけば、私たちの光も見出されてゆくでしょう。
2コリント書(新約聖書)には、光と私たちとの関係を語るパウロの訓話があります。パウロによれば、私たちは光を収めている土の器だというのです。土の器ですから、年代と共に割れたり欠けたりヒビが入ります。嫌われることを覚悟で書きますが、皆さんには、ヒビや欠けがありますでしょう。そういう器でも良いのか。良いのですね。むしろ、欠けや割れがあれば、光はそこから外へ洩れます。私たちの「欠け」や「ヒビ」を用いられるのが、主なのです。「誇る者は主を誇れ」大胆に主を誇ってゆく、そのような群れでありましょう。