2021年1月17日日曜日

1/16.17 柳井と徳山

 

 1/16 柳井チャペルの礼拝堂となります。

 この日は温かく、途中で空調を切るほどでした。16度ほど。

 1/17 徳山チャペルの礼拝堂です。

 この日は寒く、途中でファンヒーターを追加するほどでした。ただ今の外気6度。

 今週、来週の予定は以下の通りです。

1/20  水曜日 19時 六日市C礼拝 

1/23 土曜日 15時 柳井C礼拝 

1/24 日曜日 10時45分 徳山C礼拝 
        15時半  防府C礼拝
 

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。

 ヨハネによる福音書 1:4351 (新共同訳聖書、新約165ページ)

 説教                 「行け、暗闇の地へ」

51節の「神の天使たちの昇降」は、旧約の創世記28(46)、「ヤコブの夢」が下敷きの話です。アブラハムの孫、ヤコブは父と兄から祝福と財産を横取りし、回心どころか域外逃亡。その夜、石を枕に休む時にこの「神の天使たちの昇降」の夢を見る。神は、不行届きなものに一方的にみ手を伸べることに気付くのです。ヤコブはこの夢を契機とし、自己本位な者から感謝する者へと変えられます。福音書のナタナエルと結びつくのです。

 

今日の聖書には、いささか珍しい弟子「フィリポとナタナエル」が登場します。当初、弟子とされたのはペトロと同郷であったフィリポ。彼はナタナエルに、ナザレ出身としての主を紹介します。ところがナタナエルは聖書(ミカ5)を典拠とし、「ナザレから何か良いものが出るか」とフィリポに答えるのです。主はユダヤ南部のベツレヘムでお生まれになりましたが、なぜか伏されています。ヨハネ福音書では、主は「ナザレの人」となっているのです。

 

聖書に基づくナタナエルの答えは、ガリラヤ地域蔑視にもつながるものです。しかしそれがその時代の一般的な感性であることは、主も「偽りがない(47)と告げる通りです。そのナタナエルに、主は「初めからの洞察(48-49)」を告げ、最後に「ヤコブの古事に基づく話」をなさいます。これこそ前述のように、神と隣人のみ前に大きな過ちを犯したヤコブへの赦しです。主はナタナエルに、この古事に基づいて手を伸べ、弟子と為すのです。

 

主はこのナタナエルも「暗闇の地(マタイ)」と呼ばれたガリラヤに伴います。主はどの福音書でも、「神の眼差しが及ばない」とされた、蔑視のガリラヤで公生涯を始められます。さて、主がナタナエルに告げた「もっと偉大な事(50)」はいつ、どのような内容で起こるのか。やがて復活なさったの主は、意気消沈した弟子たちにガリラヤに戻るように告げ、実際このナタナエルともそこで再会します。訪ねて下さる主を思いつつ、日々を過ごしたい。