こちらは、1/24の防府の礼拝堂です。
今週、検査を迎えられる信徒の関係者を思いつつ、礼拝に臨みました。
こちらは、1/24の徳山の礼拝堂となります。
墨痕ゆたかに「主題聖句」が掲げられました。
アクリル板で装丁が施される予定です。
今週、来週の予定は以下の通りです。
どちらの集会・礼拝もお気軽にお尋ねください。
1/31 日曜日 10時 徳山C聖書の学び
15時半 防府C礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。」
■ 説教 「神がわたしを選んだ?」
牧師として派遣されるとき、始めの3年は「お見合い期間」と教えられました。ただこれは、あらゆる職種、住まう近隣の方々との関係構築にも言えます。今日の聖書で主は、ガリラヤ湖畔の4人の漁師たちを弟子にします。ここだけを見れば、漁師たちは突然主の弟子とされた。「突然のプロポーズ」を受けたことになります。当時のことを思いつつも、主の私たちへの関わりを見たい。
主の青年期について、断片的には「新約聖書関連文書」の一つが告げています。「木工で鋤やくびき、寝台を造る」お姿が書かれています。後の聖書になりますが、漁師たちの町の住人が主のことを「ナザレの人」と知っています。これらのことから、青年時代の主は、父と共にナザレを含むガリラヤを商っていた、と推測されます。働きの過程で青年期の主は、生きる人々の暮らしを「つぶさに」知ったのです。
主と漁師たちとの面識の有無は、断定できません。ただ確定できるのは、主は人々の「生きる悩み」をご存じだったことです。いくつか、あります。宗教上の規程のため、魚をより分ける(レビ11)手間、ユダヤ南部からは地域性のゆえに蔑まれる辛さ、日による漁獲の有無。家族や雇い人(20)の生活を守る、人知れない義務感。そこに主は「神の国は近づいた」「悔い改めよ」(14)と語った。「神さまは、あなたの頑張りを知っているよ」なのです。
この世では、関係性の構築には時間がかかるものです。しかし主は、「母の胎にある時から(エレミヤ書1)」あなたのことを知っている。増して日常生活のあなたの思いを知らないはずがありません。この世では、私たちが(さまざまな)師を選びます。しかし聖書は、主があなたを選び、「友と呼ぶ」ということを強調します。だからこそ私たちは、この主のみ前に常に立ち返りたい。困難な行き詰まりに立ち尽くす時に、たえず祈るものでありたい。