2021年1月12日火曜日

1/9.10 礼拝堂

 

1/10の防府の礼拝堂となります。

ポインセチアは礼拝堂後方に移動しました。

1/10の徳山の礼拝堂です。

先日来からの豪雪で、中国地方山間部の六日市在住の方から、

欠席の連絡を頂きました。

中国地方山間部は、火曜日でも積雪30センチとのことです。


いつから雪を楽しいと思えなくなったのでしょうか。

北陸、上越地方の状況が速やかに改善されますように。

1/13  水曜日 19時 六日市C礼拝 

1/16 土曜日 15時 柳井C礼拝 

1/17 日曜日 10時45分 徳山C礼拝 
        15時半  防府C礼拝
 
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。

 

 マルコによる福音書 1:911 (新共同訳聖書、新約61ページ)

 

 説教                「神の力に覆われ」

毎年、一月の第二主日も「固定の聖書日課」「主の洗礼」となっています。この出来事はマルコ福音書の冒頭部分、主の初登場の所に記載されています。マルコ福音書にはクリスマス物語(主の誕生と礼拝物語)はありませんが、この事柄を通して、「主を礼拝するクリスマス」を私たちに伝えるのです。当時の人々を取り巻く「社会、家庭」の厳しい環境は、私たちも共有して感じるものかと思います。私たちは今日も、福音の言葉に支えを得たい。

 

主は「ガリラヤからヨルダン川に来た(9)」とありました。ユダヤ国内の一つの見方では、「辺境の地から辺境の地へ」です。ただ気候の面では「緑豊かな所から、生気ない場所」とも言えます。主は神さまの導きの中で、転機、転身をなさる。クリスマスに主が天から地上に生まれたように、ここで主はヨルダン川に行かれる。ヨハネ福音書はその所を「ベタニア(ヨハ128)」と書いていますが、主は「苦境」の方々と共に歩む決意を為さるのです。

 

そこに聖書は、不思議な事象を「随行者にも分かるように」10節で列記します。「天が裂ける」とは、雲間から光が差す光景でしょう。「神の介入(イザヤ63)」を表します。「霊が下る」とは、「使徒2章」に如実なように、より生き生きとされる光景。「愛の声」は、詩編2などにある「神さまが主を支える」ことの表明です。「あなたを支える主を、神さまが支える」それが、随行者マルコにも知らされ、後年、主をたたえる福音書の先駆けとなったのです。

 

「洗礼を受けた人だけが神さまに特権的に愛される」そうではありません。聖書は誰に対しても、「主があなたを支える」ことを告げています。受洗とは、神さまからの愛に対する応答の「一つ」と言えます。愛の応答には、さまざまあります。いわゆる「奉仕」も、最終的には「誰かや自身のための祈り」も、応答になるのです。福音書で主は「ベタニア」に来られましたが、今も「ベタニア」に来られます。私たちも、居るところで「主を礼拝」したい。