2021年3月2日火曜日

2/27.28 梅と桜、そして主題聖句

 

 こちらはシオン教会、2021年の主題聖句。

 このためにあつらえられた専用のケースがはめられました。

 こちらは防府チャペルの桜。一足早く、咲いています。
 こちらは柳井チャペルの梅。来週ぐらいが見ごろでしょう。

今週、来週の予定は以下の通りです。

どちらの集会・礼拝もお気軽にお尋ねください。

 
3/3  水曜日 19時 六日市C礼拝 

3/6 土曜日 15時 柳井C礼拝 

3/7 日曜日  10時   徳山C聖書の学び
        10時45分 徳山C礼拝 
        15時半  防府C礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。

 マルコによる福音書 83138 (新共同訳聖書、新約77ページ)

 説教              「引き受けて 生きる」

私たちの信仰の原点は「近づかれる神さまのみ姿」を体現した先達にあると思います。今日の聖書に登場するペトロも同様でした。まだシモンと呼ばれていた漁師時代、文字通り主が近づかれたのです。主を通してペトロが受け取った使信は、「神さまが先だって行動される」という、旧約の元来の教えでした。主の教えに惹かれ、弟子となったのがこのペトロたちでした。そのペトロは今日の聖書の直前で主のことを「メシア」と告白しています。

 

元来のメシアは「あぶら注ぎ」を意味する言葉で、祝福、聖別されたものを表します。旧約の初期の頃は「祭司や聖書解釈者」を、中期から後期には「政治家や救済者」がその言葉に当てはめられるようになりました。ペトロも主に、上記のような姿を期待して「メシア」と告げたと思います。ところが主は、そのペトロを驚かせるのです。主は「宗教者たちから排斥」され「三日で復活(31)」すると言われます。これはペトロにとって想定外でした。

 

ペトロ(や同時代の人々)が主に求めたことは、一つは「聖書解釈者」でした。しかし「復活信仰」は旧約聖書にはほぼ記載ない事項です。「三日で復活」は、聖書からの逸脱とペトロは考えたのです。もう一つは「政治家や救済者」でした。しかし主は当時の宗教者と調和、融和するのではなく、むしろ敵対関係となり、挙句の果てに殺されると言われます。「単なる犬死」とペトロは考えた。だからペトロは「脇へ連れて諫め始めた(32)」のです。

 

主はそのペトロを公然と叱責なさいます(33)。「近づく神さまのみ姿」を無にし、金銭を指標とする当時の宗教者との融和は、主にはあり得ないことでした。また、地上の命の終わりを超えた「生」を示すことは、旧約の枠組みを超えて伝えたかったことでした。私たちには、後半部分の「自分を捨て、十字架を背負う」ことは難しい。むしろ、最終的に「自分を捨て、十字架を」負う、この主イエスに担われていることを覚えつつ、誰かに、近づきたい。