四旬節第三主日の礼拝は、柳井、徳山、防府で行われ、
六日市でも行われます。
今週、来週の予定は以下の通りです。
どちらの集会・礼拝もお気軽にお尋ねください。
3/14 日曜日 10時 徳山C聖書の学び
15時半 防府C礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
■ ヨハネによる福音書 2章13~22節 (新共同訳聖書、新約166ページ)
■ 説教 「ただ、一度だけ」
喜怒哀楽という言葉があります。私たちも折に触れてこの感情を発することがあります。主イエスも実に感情豊かな方でした。今日の聖書は、4つの福音書すべてに記載されている「神殿の宮清め」の箇所です。大枠は一緒なのですが、このヨハネ福音書が特筆する事項があります。主が散らされたものは、他福音書では商人たちのみですが、この福音書では「羊や牛のすべて(15)」を含むのです。この記述は、実はヨハネの渾身の理解です。
元来、旧約では「スケープゴート」という言葉があるように、神殿の動物たちは、人の罪を背負うものとされていました。主が追散らした動物たちは、祭儀用でした。実際この様子を見た弟子たちが「詩編69編(17)」を思い出します。この詩編には、他者を覚えての祈りに、疲れ果てて傷む人が登場します。詩編の人物と主のお姿が、他者のために痛みを被るという意味で重なります。主は、動物に代え自らを神さまへの生贄となさるつもりです。
その主のお気持ちは神殿祭司たちに理解されるはずなく、「ユダヤ人(宗教者)」たちに逆上されます(18)。「この神殿」を、主はご自身の身体とし、ユダヤ人宗教者たちは建物と見なしています。主の時代には立派だったこの神殿も、ヨハネ福音書が記載された時代には一部の壁(「嘆きの壁」)を残すのみでした。一方この福音書も、十字架後の復活の主イエスに出会う人々の記載があります。ここでも弟子たちは主の言葉を思い出すのです。
聖書の神さまは、元来は無条件での愛と赦しを賜う方でした。主の時代は神さまの愛と赦しを得るために、動物が「仲立ちに」入るシステムが出来上がっていました。主はその動物たちを退場させ、自身が「ただ、一度だけ」全ての罪を負う決意をなさったのです。私たちが祈りの結びに「主イエスのみ名によって」祈るとは、今日の聖書に由来すると言っても良いのです。喜怒哀楽を抱え生きる私たちに、主が共におられることを覚えて生きたい。