3/28の徳山の礼拝堂です。
照明を落としましたが、天然の光がステンドグラス越しに入ってきました。
ちなみに、外は曇りです。
四旬節のお花が二つ、捧げられています。
今週、来週の予定は以下の通りです。
どちらの集会・礼拝もお気軽にお尋ねください。
4/4 日曜日 10時 徳山C聖書の学び
15時半 防府C礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
マルコによる福音書 15章6~15節 (新共同訳聖書、新約95ページ)
■ 説教 「神の子に助けられたバラバ」 バラバという男。名は「アッバスの子」という意味で、ユダヤ民族と分かります。その彼は今、エルサレムの裁判所内の牢獄に留置中でした。罪状は「暴動時の殺人(7)」、いかなる趣旨の暴動かは不明ですが、結果として首都の治安を極めて悪化させ、「ローマ帝国」の顔に泥を叩きつけた政治犯でした。バラバは、他の二人と共に市中引き回しの後、十字架と決まっていました。ユダヤ人にとって十字架は、極めて不名誉 (申23)」な刑でした。
同時に逮捕された二人は先に牢獄から出され、今、バラバの牢獄も開けられました。死への道行を覚悟したバラバ、しかし「無罪放免」が告げられました。その背後では、主イエスをめぐる出来事が起きていたのです。そもそも主は「無実の罪」あえて言えば「神殿騒乱罪」。今日の聖書にも「祭司長たち(の)・・・妬みのため(10)」という言葉がありました。裁判長であるローマ人ピラトにとって、主よりバラバを刑場に送ることが優先事項でした。
微罪の主を妬む祭司長たちが、群衆を扇動します。煽られた群衆はピラトに「(主を)十字架につけろ(12)」と願います。ピラトは政治的判断によって、自らの保身のため、バラバとイエスの刑を交換します。祭司長、群衆、ピラトが主の死に加担したのです。バラバは釈放され、一方でイエスはバラバの罪を負い、「政治犯として」他の二人と共に十字架に付けられた。後日、仲間や、自らの代わりに死んだ男を聞いたバラバの心は、如何だったか。
この日は「受難主日」です。罪なき主イエスが、様々な人の思惑の中で死を迎えられた、「主の受難」を覚える日なのです。このバラバの今後は、小説や映像作品では「伝道者」として描くものもあります。一方で、慎ましく生きたとも考えられます。赦された者の生き方は規定できず、それぞれ。その根本には、自らの身代わりとしての主イエスの存在があるのです。バラバと同じく、自身の身代わりとしての主イエスを思い、この週を過ごしたい。 |