4/4 徳山でもイースター礼拝が行われました。
前日の4/3には柳井でもイースター礼拝。
4/7には六日市でも礼拝が行われます。
今週、来週の予定は以下の通りです。
どちらの集会・礼拝もお気軽にお尋ねください。
4/11 日曜日 10時 徳山C聖書の学び
防府C礼拝は、家庭礼拝となります。
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
■ マルコによる福音書 16章1~8節 (新共同訳聖書、新約97ページ)
■ 説教 「お墓の中にはいません」
お墓とは、不思議な場所です。瞑目すると懐かしい者が、心の中に自ずと過ぎるからです。主イエスは、金曜の午後三時ごろ最期を迎えられました。間近に迫る日没からは、一切の労働が禁止された安息日でした。主イエスのお体を安息日明けまで、外に一日放置しておけば、自然と損なわれるのは必定でした。それを避けるために、「勇気を出した」アリマタヤ地方のヨセフ議員が、主の体を自分用のお墓に葬った。「人事を尽くす」のです。
二人のマリアとサロメは、墓所を確認していました。墓参に際し、安息日明けの商店から香油を買い求めます。ものにも依りますが、年収相当の香油もあったとか。女性たちも、ヨセフと同様に自分のものを主イエスのため出すのです。主から受け、聞いた「神さまの愛」に、少しでも報いたい思いです。ただし、ヨセフも女性たちも、主の復活を期待していません。ヨセフは死んだ主を葬り、女性たちは主の遺体を少しでも保つ努力をしたのです。
生と死の間の越えられない壁が「石(3)」に示唆されています。当時の墓は、「陰府」を示唆していました。石で封印を施されれば、それは「永続的に続く闇」の象徴です。しかし主は、当時の墓の象徴を壊されました。永遠の闇に、突如として光が差し込む。主はその光の中を歩まれ、ガリラヤへと赴かれたのです。女性たちが尋ねたのは万事が終わった後でした。墓の中の若者に指示されますが、女性たちは度肝を抜かれ、逃げ出すのです。
「誰にも何も言わなかった(8)」のが、世界で初めのイースターでした。妙に、人間臭い出来事です。ここには、主のみ言葉に聞き従った「信仰深い」人の姿はありません。「復活信仰」のみ言葉以上に、目前の恐れ、不安、心配事に心を満たす人々が、何か安心させます。ただこの人々も、生前の主を思い出しつつ、「人事を尽くす」姿を示したことは、一つの手がかりでしょう。大きな局面に立つとき、復活の主のみ言葉に養われつつ、生きたい。