4/18(日)の防府チャペルとなります。
聖壇の色は白、併せて献花も白百合となりました。
会員が島根県の大根島(植木、牡丹で有名)で求めたものです。
庭で今年も咲きました。
今週、来週の予定は以下の通りです。
どちらの集会・礼拝もお気軽にお尋ねください。
4/25 日曜日 10時 徳山C聖書の学び
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
■ ルカによる福音書 24章36b~48節 (新共同訳聖書、新約161ページ)
■ 説教 「キリストが留まる場所」
最古の福音書、マルコで主は弟子たちに「(故郷)ガリラヤへ行け」と伝えるよう語ります。受け継ぐように、マタイとヨハネは主と弟子たちとの「ガリラヤでの出会い」をも語ります。ところがルカ福音書は、出会いの場をエルサレムおよび近隣と限定。主は復活から40日間エルサレムに、弟子たちも「聖霊降臨」までは同市内に留まるのです。ルカ福音書は、「エルサレム」に思いを寄せる主の姿を通し、私たちへの励ましを語るのです。
本文の直前、「エマオの途上」で主に出会った二人を通し、弟子たちは「平安」を得ていました。エルサレムに戻ると再度主が現れますが、弟子たちは「亡霊(37)」と見なします。主が「実体」を示すと(40.42)、弟子たちは安心します。続けて主は、ご自身についての聖書の言葉が実現すると語られます。「聖書への信頼」が、主が強調することです。なぜ「聖書」か。主は、信仰の拠点だった神殿がやがて崩壊することをご存じだったのでしょう。
「信仰は建物での祭儀(いけにえ)を通してではなく、聖書のみ言葉を通して導かれる」ことが主イエスの導き出したことでした。示された場所はエルサレム。そこは、弟子たちには危険な場所で、後代は戦乱による廃墟。主は、安全地帯ではなくその場所から、み言葉を語るのです。詩編が語るように「苦難のとき、そこに居ます(詩編46:2)」方なのです。「地に平和(ルカ2章)」をもたらすため、「苦難」の渦中にあって、そこに居られるのです。
ところで、「主についての(44)」旧約諸書の一つは、「イザヤ書」の「苦難の僕(イザヤ53、旧p1149)」。地上の生活で「病み、痛む」ものを、神さまの僕が共に担うという預言です。地上の生における苦難の一つには、「病み、痛む」要因が潜むものでしょう。しかし、この日の聖書が強調することは、危険が予見される場所に主や神なる方の力が共にあることです。困難な場にも「主がおられる」だからそこが私たちの「平和の場所」なのです。