3/5(土)山口県には春一番。
この言い方ですと風雅ですが、本名は風災。防府教会の尖塔が剥がれました。
風災補償タイプの保険に加入していたので、保険修理を見込んでいます。
徳山の礼拝堂。右側が本年の主題聖句で、掲げられました。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
3/9 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
3/12 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
3/16 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
3/19 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ ルカによる福音書4: 1~13 (新107)
Gospel of Luke 4: 1~13
1さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
8イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」
12イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
■ 説教 「きりきり舞いでも半回転」
「40」という数字から、聖書の「荒野の40年」や「ノアの洪水(40日40夜)」を思い起こせます。主も、その公生涯の始まりからも「苦難」に出会われたのです。一般論ですが、苦難の中で、事態に追われます。個別の事柄ですが、渦中の際にノアは陸地を、荒野の人々は飲食物を求めました。ただ、人々は洪水や荒野という「苦難」を通し、神さまとの関りを実感しました。主も、この苦難を通し、苦難の中、神さまはあなたを捨てず、と伝えるのです。
聖書が語る、悪魔による誘惑は当初40日間(2)でした。その時主は「聖霊に満ちる(1)」とあります。洗礼時に主に下った聖霊(3:22)は、荒野で共にあったのです。これは、荒野でも主が「神さまの守りと支え」をもとに過ごされたとの意です。この間の誘惑はどのようなものか記載がありません。むしろ、40日の締めに悪魔は奸智に長けた誘惑を主に向けます。「人心が欲する所に忍び寄る」悪魔は、主の心と思いを察して誘惑するのです。
「空腹(2)」に対しては、「パンを石に」の誘惑。「神の愛の伝道(3:22)」に対しては、「王にしよう(6)」と「人寄せ(9)」との誘惑がなされます。悪魔の提案に乗れば、主の空腹は満ち、主の周囲には大勢が集い、十字架に架からなくとも王になれるのです。しかし主は、これらの誘惑を「み言葉によって」退けるのです。「神さまとの関りの中で」、楽ではなく、苦労の多い歩みの決断を成すのです。ここに、私たちへの模範の姿があると言えます。
この四旬節期、諸教派では「回心」から派生する「自制」の慣行を大切にしています。心を回して、神さまと隣人に思いを寄せるという意味の回心です。昔を振り返るとき、自身のことで手一杯だった時期がありました。仕方がないと言えばそうなのです。しかし、模範としての主は、「み言葉と導き」を荒野の中で支えとされました。「自制」の本質は、「神と隣人を見る」ことにあります。その神さまは、私たちに愛の眼差しを注がれます。覚えたい。