2022年3月15日火曜日

3/12.13 礼拝堂と外

 

 3/15(火)の、朝10時過ぎの徳山C礼拝堂です。

 東の光が、ちょうど十字架の足元を照らしていました。

3/13(日)防府チャペルの外風景。

左が梅、右が早咲きの桜、そして相中が水仙。入口のところです。

3/12(土)柳井チャペルの礼拝堂。

献花も紫。四旬節の風景です。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

3/16 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝

3/19  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/20 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

3/23 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝

3/26  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/27  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

■ ルカによる福音書13:3135 (136)

   Gospel of Luke 13:3135

31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」 32イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。

33だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。34エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 35見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」

 

 説教     「過ちも繰り替えすが 愛も繰り返す」 「主イエスの嘆き」 

主は『囲いの中の羊』と「外の羊」を飼う職務を教会に与えられました(ヨハネ福音書10)。外部への働きは「社会的活動」への関心でした。昔に遡れば、「ペスト流行期の病院」「震災、戦争時の救護施設」がありましたし、今、シオン教会の関りで、別法人となっている働きもあります。皆さんや、先人たちの「原点」とは何か。それは主イエスの「嘆く姿」にあると思います。では、何に対する「嘆き」か。例えば、富の偏在や負担の不均衡です。

 

聖書は、ファリサイ派の人々が主に働きかける所から始まります。「ヘロデが殺そうとしているので、立ち去って下さい(31)」と、ファリサイ派は主に、危険が迫ることを知らせています。ヘロデが主に興味を持って以降(97)、何があったのかは不明です。主もヘロデを「あの狐(32)」と呼ばわります。そして「自分の道を進まねばならない(33)」と、悲壮といえる決意をします。軌道修正せず、自身に託された神さまの御心を行う思いなのです。

 

主は決意表明後に、エルサレムへの嘆きをこぼされます(34)。古事を紐解き、預言者たちを通した神の言葉に聞かなかったこと。そのため「見捨てられる(35)」と、断言されます。み言葉を聞かないと見捨てられるとの、半ば脅迫のような物言い。応報思想も感じられますが、主は決してその思想の持ち主ではなかった。「対象に向かって嘆く(34)」主は、最後に「主の名によって来られる方にと告げる時まで、自身を見ない」と言います。

 

「見ない」と言われ、断絶を示唆される主は、しかしエルサレムに再来します。「エルサレム入城(19)」です。主はこの町を見捨てなかったのです。嘆かれる主は、「偏在や不均衡」を思う対象のすぐ傍に歩まれ、共におられるのです。私たちの先達や、私たちの原点はここだろうと思う。「囲いの外」にも主は日々、その思いを向けています。かつて、主がこの私に近づいた、だから私は、誰かに向かって歩むことを日々、祈りつつ確かめたい。