こちらは、5/6の柳井の礼拝堂でした。
5/9(火)、柳井の方が徳山を訪ねて下さいました。感謝です。
これは、早朝の礼拝堂in徳山です。まだストーブが出ています。防府の礼拝堂、光が良い感じです。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
5/9 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝
5/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
5/14 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
5/16 火曜日 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝です。
5/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
ヨハネ福音書14章1-10節
■ 説教 「静かさや 心に染み入る 神の声」
心を込めて働いても実らず、失意にあったのがエリヤでした。列王記上19章は、そのよなエリヤの心の痛みを記します。同時に、併発した災害の前に、エリヤの心は更に乱れます。ただ、一時心を静めると、神さまの声が聞こえて来るのです。心騒ぐ現実を前にするとき、神の言葉は通り過ぎるのでしょう。その過程がこの日の福音書にも記されています。人の現実を、自分自身を投影しつつ見ていきたい。そして変わらずに、関わる方を知りたい。
個所は14-17章が「告別説教」です。冒頭は「心を騒がせるな」から始まります。しかし弟子の立場なら、この状況を、騒がず、黙して耐ええるか。「普通ではない」事が立て続けに起きているのです。主が時の権威と反目状況になり、関係は修復不可能なまでに悪化します。13章では、何を思われたか主が「洗足」し、裏切りの予告をし、そのユダにパンを渡す。必死の追従を告げたペトロに、裏切るよと告げる。理解を超越したことの連続です。
14章冒頭の「天国の場所取り」が、身を入れて聞かれたでしょうか。「道、真理、命」という言葉の直後に「神を示して欲しい」とフィリポに言われます。フィリポは、ヨハネ福音書では最初の伝道者(1:45)で、「食料調達係(6:7)」、海沿いのベトサイダ出身で、ギリシャの方々との交渉役(12:21)という、伝道熱意と実務とを備えた人物です。「やがて」のみ国のことは兎も角、「今」困難な現実に直面する中で、神の介入を望んだのでしょう。
「騒ぐ心」に「沈まれ」と関わる主です。波や風は収まりました(マタイ8)が、人の心は難しい。フィリポの心も騒いだまま、決裂の時を迎えます。そう、仕向けたと思えます。弟子たちの騒ぐ心を無理に抑えるのでなく、あえて離散させた。そして、十字架の出来事の後、状況が静まった折に、弟子たちの前に現れたのです。心騒ぐ状況の中、助けはないと思えます。その過程でも、しかし神の守りがあり、示したフィリポでした。そのことを覚えましょう。