4/23(日)徳山の菜園に、ミニトマト、ナス、ピーマンを植えました。
奥はジャガイモ。
気付けばもう、4月も月末。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
4/29 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
4/30 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
5/2 火曜日 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝です。
5/6 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
聖書 ルカ福音書 24:13~27.30~35(新160)
■ 説教 「完成を目指して」
「暗い顔(17)」等の表情は、心の表れです。そこに「心配」が加えられる時、「共同性」が生まれます。さて、出エジプト記3章は「モーセの召命」です。その折の「燃え尽きない、燃える柴」で、可燃物である柴が、着火源である神さまと反応します。「燃える」という言葉は、この日も登場します。復活の主である「ただの人」から聞いた聖書の解説を思い出し、「心は燃えていた(32)」と言います。主が彼らの心に、熱意を取り戻させた経緯を聞きたい。
ルカ福音書は、主の復活を聞いた弟子たちの、当初の反応を「たわ言(24:11)」「常軌を逸した、無駄話」と記します。その後、初出の弟子であるクレオパ含む二人が「エマオに行き」ます。「たわ言」の内容は「主の体の不在(24:3)」も含みます。噂から、早晩、自分たちにも捜査が及ぶことを危惧し、安全を確保するための逃亡と思えます。その歩みに、主が近づきますが、彼らは主とは分からないまま、対話を続けます。中の一言に注目です。
彼らは主が、人々の前で「行いにも言葉にも力」があったと「ただの人」に向けて証言します。聞き手が実は主だから良いものの、勇気ある証言です。「犯罪人」の主を、賞賛しているのです。「たわ言」と思いつつ、「主を懐かしむ」彼らの心を主は見られます。主は、「聖書全体の解説(27)」をされます。ルカ福音書の特徴は「神の降下(ルカ2)」です。旧約にも、心を揺らす人々は登場します。神が昔から、事柄を通し、支えることを示されたのです。
宿屋にて、最後の晩餐の再現を主がパン割きで示すと、弟子たちは主だと分かります。そして「心は燃えていた」と振り返るのです。感動、感謝、喜び。そういう概念が弟子たちの「アンビバレント」=揺れる心の最中に示されたのです。冒頭のモーセも同様でした。神や主イエスは、私たちが迷い、戸惑う時を選び、現れる傾向があると思います。主は「暗い顔をしている」弟子たちを案じます。主ご自身は、いつも私たちの心を気にかけるのです。