4/9(日)防府礼拝所のイースター。
4/9(日)徳山礼拝所、玄関のブナも新緑をまとっています。
4/8(土)柳井礼拝所のイースター。洗礼式が行われました。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
4/12 水曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
4/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
4/16 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
4/18 火曜日 18時30分 六日市チャペル礼拝
4/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ 説教 「神は人を通して働く」
復活祭に先立つ2週間、多くの方のご葬儀に祈りが発せられました。意味は何か。お一人ひとりが主の働きを通し、神さまに覚えられたのです。主の働きは、マタイ福音書が「正しさ」という言葉を通し問います。当時の常識は「律法順守」、しかし主の父ヨセフは、「律法順守」ではなく、妻と子の命に寄り添うことをマタイは「正しい」とします(1:19)。その父の元、主イエスは、人々と共に生きることを受洗で示し「正しいこと(3:15)」と言われます。
主イエスの葬られた墓には封印が為されていました。どういう経緯か。この墓は、アリマタヤのヨセフのものでした。彼は主イエスの十字架後の夕方、人々の模範である議員という立場から、日没前に主のご遺体を墓に納め、大石を転がしたと見なせます。一方で祭司長たちは「あくる日(27:62)」つまり安息日に、主の墓に封印をする願いをピラトに求め、許可を得て墓に行き、封印を施すのです。こちらは、安息日の労働に該当するのです。
マタイはここでも「正しさ」を問います。ヨセフや祭司長は「正しさ」が求められる立場です。ヨセフは、律法の枠内(申21:23(木に架けられた者の埋葬)」の行動で、かつ「犯罪者」として裁かれた主イエスと「共にあろうとする正しさ」を実行します。一方で祭司長たちは、主を安息日規定違反で逮捕させ、自分たちは安息日に動く「二重基準」です。今日にもあります。守るべき立場の人が、守るべきものを守らず、恣意的に動いているのです。
祭司長の姿を笑うことは出来ず、ヨセフのような強さは持ちえない私たちがいます。むしろ、逃走していた弟子たちと同等なのでしょう。復活の主は、そのような弟子たちに「ガリラヤに行け」と女性たちを通して告げます。四旬節、様々な人の姿を聖書は語り、私たちは主のもとに送りました。復活の主の言葉「ガリラヤに行け」は、「原点に帰れ」「今の所から歩みだそう」との意味です。み国にある方々の歩みに主があることを思い、日々を生きたい。