兼任している西宮教会(兵庫県)。
5/7-8豪雨で、雨が吹き込み、床が濡れることが起きました。
こちらは、5/13の柳井。
「立てばシャクヤク」の芍薬だったかと思いますが。5/9の六日市。
更新が空きました。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
5/23 火曜日 13時 益田チャペル「土地建物 感謝礼拝」」
19時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝
5/27 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
5/28 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
5/30 火曜日 六日市チャペル礼拝
6/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ ルカ 24:44~53(新161)
他の福音書は、主が「エルサレムでガリラヤ」に言及し、巻末を迎えます。その「伝承や口伝」と異なり、ルカ福音書は「ベタニア」を重んじます。復活の主が向かい、祝福し、昇天した場所とします。なぜか。しかも主はそこで昇天しますが、それは同時に使徒たちの活動がベタニアから始まったことを意味します。教会の歩み、連なる私たちの歩みがそこに示唆されているのです。ルカはなぜ、ベタニアを「ターミナル(終着点、中継点)」としたのか。
まず、主の「ターミナル(終着点)」ベタニアは、ヨハネ福音ではラザロの村。他福音では「重い皮膚病(マタ、マル)」の方々の「住む」村、申命記14:3の規定では、この病は「宿営の外」で見られる病。その方々が「住む」村と言えます。復活の主は、40日後(使徒言行録)にベタニアで「祝福と昇天」をします。ルカの語る誕生の知らせ(羊飼い)と昇天場所(ベタニア村)の類似性を見られます。主は「労苦や不当な虐げを受けた人々」の友なのです。
弟子たちの「ターミナル(中継点)」ベタニアは、主の「都に留まれ(49)」との言葉と、40日のみ言葉の教えに満たされ赴いた場所でした。客観的には弟子たちは「お尋ね者」でした。協力者は恐らく「女性たち(マグダラのマリアたち)」でしょうが、滞在中や道中の、通報と捕縛のリスクはあります。隠遁生活の果て、主は彼ら11人を「白昼」ベタニアまで「連れて行く」。なぜベタニアか、という問いは弟子たちの中に生まれ、解かれたと思います。
ルカ福音書では、主の誕生の際には「泊まる場所が無かった」ものでした。しかし主は、長じて「居場所を不当に奪われている人」のために生き、また歩まれました。そして昇天の際、主はベタニア村にて、弟子たちと住人たちに「神の祝福」を告げたのです。神さまは、人を罰するためではなく、人を愛し、支えるために存在する。それを主は弟子たちに託するのです。使命は、私たちにも重なります。この使命を誰かに、何かに向けていきましょう。