5/29(水)徳山チャペルの裏手が、雑草のジャングルになりつつあります。
さすがに本日除草剤を撒きました。
5/29(水)この裏手が雑草ジャングル。礼拝堂内はきれいに保たれています。5/26(日)防府チャペル。三位一体主日の礼拝でした。
本日の礼拝説教は、以下の通りとなります。
■ヨハネ 3: 1~8 (新167)
■ 説教 「悪人正機」
礼拝の中で、「罪の告白」の時間は大切と考えます。「神さまの光に照らされ、過ぎた日を思う」時です。「聖霊」が常在する「場」の助けにより「心を神の方に回す」ことが出来ると言えます。「聖なる場」は主の時代「神殿」でした。しかし主は「宮清め」対象と選びました。「やや冷めている弟子たち」(2:17)と逆に、「議員ニコデモ」は主に興味を持ちます。
ニコデモは神殿制度内の人で、当時「祭儀制」は宗教、経済の根幹を担うものでした。祭司層は十戒を基軸に、通常は市井、年2回はエルサレム神殿で人々に「罪の自覚」を促します。人々は祭儀や巡礼を通して、物流を生み出します。神殿は潤い、人々は安心を得るのです。制度内に居ながらニコデモは、主の「宮清め」の行為に、異常な関心を示します。
主は「宮清め」に際し、「父の家(2:16)」では神を想起するとの提言を行いました。「祭儀、儀式」は二の次です。「夜」主を訪ねたニコデモは主を「神の教師(3:2)」と評します。過去、神殿無き捕囚の場所(バビロン)で、預言者たちは神さまへの回帰を説きました。ニコデモも主も「神殿経由」ではなく、まず神を思い起こすという点で一致したのです。
上記の例は、旧約のエゼキエル書です。捕囚第二世代の彼は「悪人正機(33:11)」と日本語で見做せる教えを説きます。神殿無く、祭儀も難しい場所で、神さまは「悪人」もその光で照らすと言われます。「新たに生まれる(3)」とは、現状の中で、原点に立ち返り、日々を過ごすことと言えます。「聖なる場」から出る私たちは、日々をそのように生きたい。