4/28(日)防府の礼拝堂です。いつもの形、いつもの方々、いつもすばらしい。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
5/4 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
5/7 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
5/11 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
5/12 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■ ヨハネ 15: 1~ 8 (新198)
■ 説教 「つながりに支えられる」
「ぶどうの木」を通して、主は弟子たちや私たちとの「つながり」を語ります。どういう「つながり」か。ヨハネ福音書は、14章から「つながり」がテーマの「告別説教」です。内、14、16章は「み国の約束」17章は「祈り」と、抽象的です。15章の「ぶどうの木」は、想像しやすい話ですが、物騒な「剪定、切除」が登場します。「整える」つながりなのです。
ただ「心を騒がせる(14:1)」弟子たちに「剪定、切除」は、無謀と思えます。既にユダは離れ(13:30)、ペトロの裏切りの示唆の(13:38)中、「切り離す」が弟子たちの与える動揺は、察して余りあります。実は「取り除く(2)」は、「風を入れる(持ち上げる)」の意味です。乱伐でなく、結実しない枝の「いのちの回復」、ただ「タイミング」の悪さは言えます。
主の意図は、「個々の弟子たち」の切除でなく、「弟子たちの個々」の切除と見ます。「私たちの誰か」ではなく、「私の一部分(罪)」です。やがて弟子たちは、特にペトロは自身の罪に気づかされます(21章)。そもそも、弟子たちが「離れる」ことは、主が「今はついて来ることができない(13:7.35)」と明言します。「気づく」ための厳しい言葉なのです。
弟子たちはこの後、主のもとを去ります。その期間を主は、「枯れ枝、実らない枝」を「剪定、切除」する時とします。「焼かれる(7)」は気になりますが、主は「一人の滅びも望まない(3:16)」ため、十字架に向かいます。弟子たちは、自身の「枯れ枝」が主により除かれ、「いのちが回復」されるとに気づき、戻ります。生涯、成長するのです。「望(7)」みたい。