2024年11月21日木曜日

11/17.21 防府と、晩秋の菊、クリスマス行事

 本年度、 クリスマスの行事は以下のとおりとなります。

 12/21(土)13:40~ 柳井チャペル クリスマス・ミニ・コンサート

       14:30~ 柳井チャペル クリスマス礼拝

 12/22(日)10:45~ 徳山チャペル クリスマス礼拝

       15:30  防府チャペル クリスマス礼拝

 12/24(火)19:30  徳山チャペル クリスマス・イブ礼拝

 それぞれ、どうぞご予定に入れて頂ければ幸いです。


 11/21(木)徳山チャペルの玄関を臨む写真となります。

 ブナは新たな命を芽に込め、麓の菊は今が盛りとなっています。

 11/17(日)防府の礼拝堂。

 典礼色の緑も、そろそろ見納めと。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

11/23 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/24 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

11/26 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/30 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

12/1 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

マルコ13: 1 8 (88)

 説教              「忍耐は希望を生む」 

    聖書は「エルサレムの破却預言()」から始まります。弟子たちは46年の歳月(ヨハネ2)と、人力と財力を費やした「神殿」を賞賛します。建造費は歴史家ヨセフスによれば、人々への増税で賄われていました。増税の先棒や片棒は、宗教者たちが担ぐものでした。

 

既に主イエスは「宮清め」(11章)と、祭司批判 (12章)をします。主は宗教者たちの、不当利得への非難に留まりません。彼らが利を稼がざるを得ない背景、つまり「建造費負担のノルマ」を考えさせます。この「神殿」は、人々の「血税」の象徴であることを示します。

 

    主が見た現状は、宗教者が金銭に執着し、律法の精神が説かれず、軽視されるものでした。国家や個が「価値観」を欠く時、偽りや「戦争の噂」に弱くなると見たのです。主は「慌ててはいけない(7)」と言われます。諸事に目移りせず、確かなものを見る勧めです。

 

戦争や天災は、全ての時代に起きてしまうものです。私たちの時代も同様です。そこに直面した時には、心痛以上のものがあります。不安定な時代の中、時の祭司が語らなかった「神の愛」を主イエスは語りました。律法を越えた、聖書の価値観に生きていきたい。


2024年11月12日火曜日

10/26.11/4.10 柳井川、宇部、防府

 

 こちらは、11/10(日)防府の礼拝です。

 赤(宗教改革)→白(全聖徒)→緑の典礼色でした。

 こちらは、11/4(月・祝)るうてる秋の大会の外の様子です。

 会場は宇部教会でした。

 こちら、10/26(土)の柳井。

 雨が濁流となっています。

 カニもたまりかねて上陸。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

11/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/17 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

11/19 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/23 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/24 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

イザヤ 25: 6 9 (1098)

 説教           「遠くを見つめ、近くを生きる」 

    賛美歌「いつくしみ深き」は、「母への手紙」が基になります。婚約者と死別した青年が、自分の母に、心痛む状況の中でも「友なるイエス」の支えで生かされている、という思いを記したものです。青年の信仰の言葉は、後年、私たちが歌う讃美歌とされたのです。

 

   イザヤ書は、他国からの侵略(17)の危機に記されたものです。厳しい現実の中だからこそ、2章でやがて「平和」が、9章では「イマヌエル預言」が語られます。イザヤも一人の当事者として、まずは現状を越えた後の希望を読み手に示します。それが6節に現れます。

 

   ただ、8節は「現実」に触れる箇所とも読めます。「死を滅ぼす」とは、死という概念の抹消です。地上の命の終わりはありますが、続く「新たな生」を示唆します。しかし悲しみの「別れ」に直面する遺族を神は「涙の拭い」で接します。神の、個々への愛が示されます。

 

   主イエスはこのような「死後の世界観」を体験された方でした。十字架後の三日間を経、今なお私たちの懐かしい方々と共にあるのです。「いつくしみ深き」の青年も、主を友とし、日々を過ごしたのです。心に浮かぶ懐かしい方との再会の日を思い、日々過ごしましょう。