2025年3月4日火曜日

2/26.3/1.2 ライブカメラに映り込み、柴犬、防府梅、徳山

 

 3/2 防府礼拝所の梅。

 「今年は、例年になくきれいな梅」とのことでした。

 3/2 世界祈祷日の冊子。

 徳山礼拝の中で、こちらから抜粋された祈り「クック諸島」を覚えて祈りました。

 3/1 柳井礼拝所の牧師館跡地、タマネギ畑。
 3/1 柴犬と子ども。この距離感。
 2/26 「錦町県境」のyoutube ライブカメラに映りました。証拠写真。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

3/5 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝  

3/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/12 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

3/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/16 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ9:2836 (123)

 説教                「球根の中のいのち」 

    来週の礼拝から、「四旬節」に入ります。「主の変容」は、クリスマスとイースターの境であり、主の生き方を示す箇所です。ことに「受難予告→変容→子の癒し」という配置の通り、「栄光の主が、病む人々と共にある」ことを示します。ただしルカは「特異」なのです。

 

    共通項は「苦しむ者のためのイエスは、病むものを支える」ことです。「特異」は「ペトロ」の存在です。32節「ペトロの眠気」は本文と関係ありません。33節「ペトロが混乱」とは、彼の誠意をルカが壊しています。ペトロは眠気の中で「仮庵」の接待を申し出たのですが。

 

    しかしペトロは、主とモーセ達の会話中の「最期」を聞き逃しません。ペトロは「キリスト教の死生観」を創造した主から、これを聞き取ったのです。「最期」は「出エジプト」の「エクソダス」。主の「最期」は「目的なき死」でなく、「復活への過程」と、ペトロは聞くのです。

 

    ペトロは「眠さ」という本質を持ち、み言葉を聞きます。「漁師」時代もそうでした。今日の箇所から聞けることは様々です。やがて、春です。「球根の中のいのち」が見られます。「堅い私、心、強い現実」を持つ中にいのちの主がいる実感を持ち、日々を過ごしましょう。


世界祈祷日「南太平洋、クック諸島」 2025.3.2-3.3(柳井・徳山) 「私たちは、おそろしいほどにすばらしく造られています」 勧め)本年の世界祈祷日は、南太平洋の「クック諸島」を覚える時となります。 「クック」とは、18世紀の探検家で、この島々を「発見」した「グレート・ブリテン 王国」の探検家です。それ以前からこの島々には、4世紀ごろに遡ることができる文化 がありました。この諸島群の中での、地形的に最大規模の島は「ラロトンガ」です。 マオリ語で「トンガ」は「南」、「ラロ」が「果て」ということです。つまり昔からこ の島は、「南の果て」と呼ばれ、海を行き交う人々の目標、目印となっていたのです。 「世界祈祷日」の式文ははじめに、この島々の「澄み切った青空、黄金の太陽、自由 に飛び交う鳥たち、真っ白な砂浜、新鮮な農産物、多彩な動植物」の自然を読む人に思 い起こさせます。しかしこれらの島々に暮らす人々の切実な祈りをも載せています。 私たちは今日、この地の女性たちの祈りを心に覚え、その祈りを覚えましょう。 冒頭の祈り) 私たちをすばらしいものに造って下さった神よ。世界中の姉妹と兄弟たちとの交わりに感 謝します。共に集まる私たちが、あなたに対して、またお互いに心を開くことが出来るよう助 けて下さい。私たちは、あなたの愛を世界に放つことが出来るでしょう。アーメン。 司式)神さま。2020年から始まった「コロナ・パンデミック」は小さな島にも影響を及ぼ しました。神さま、2022年に15歳だったミイさんは、コロナの心配の中、祈ることで平 安を頂きました。私たちも種々の心配を抱える中、熱心に祈ることを教えて下さい。 冒頭の祈り2) 神さま。私たちの心を占める、あらゆる心配事から心を静めて下さい。 私たちをあなたと、再び結び合わせて下さい。アーメン。 司式)神さま。世界に存在する言葉は、文化として受け継がれてゆくものです。しかし一 時、国家政策によって「ラロトンガ」固有言語の「マオリ語」が消失し、英語へと同化さ せられそうになりました。神さま、マオリ語は「絶滅危惧言語」に指定されていますが、 その復活と継続のため、努力する方々の働きをどうぞ強めて下さい。私たちの捧げもの が、神さまが与えられた言語と文化のために働く方々に用いられますように。 ヴァイニウさんの祈り) 神さま、たとえ見捨てられても、軽蔑されても、神が共にいて下さったことは、分かっていま す。光が届かない海の底までも、神は私たちと共にいて下さいます。 ラロトンガ等を始めとする、島々の人々が幸せに暮らせますように。アーメン 司式)神さま。医療現場で働くドクター・ドーンさん、また医療現場を支える方々、今こ の時も働き、祈り、生活する方々に神さまの祝福を示してください。神さま、私たちが礼 拝後に捧げる献金を祝福し、「クック諸島の女性たち」のために用いて下さい。また、ル ーテル教会においては、「社会福祉法人べタニアホーム」の活動をお支え下さい。 会衆)自分と他の人を、神さまの愛される子どもとして大切に出来ますように。アーメン



2025年2月25日火曜日

2/22.23 柳井、防府の梅、徳山の朝

 

 2/25(火)朝の徳山礼拝所。

 だいぶ、夜明けも早くなりました。

 2/23(日)午後の防府礼拝所。

 背景は、道路沿いの看板。ここに柳井の方が毎週、説教題を記載してくださいます。

 2/22(土)柳井礼拝所。

 左手にも、教会員の方からのお花がささげられています。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

2/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 水曜日となりました。 

3/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/5 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

3/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

 ルカ6:2736 (113)

 説教             「ありがとうに花束を」 

    聖書は「敵」の扱いを、三つ示します。1つ目「やりかえす」。レビ24:19「復讐の連鎖を実力で断つ」との意味です。2つ目「関わらない」。詩編941「報復の神に任せる」ということです。3つ目が今日の「愛する」。レビ19:18「隣人愛」が原典です(マタイ5:43)。

 

    「隣人愛」はともかく、「敵への愛」は「無理」といえます。今年の「世界祈祷日」で、「壁に直面」された方の証しが式文にありました。「伝統言語、マオリ語の廃棄」を強制された方が「その侮辱は忘れられない」と言います。主がなぜ「敵への愛」を語ったのでしょうか。

 

    これは「弟子たち(6:20)」への言葉です。弟子たちも「敵」を「憎み続ける」「やりかえす」「神の報復」を求めることを自然でした。主は、この当時は主のみが可能な「敵を愛する」姿を、十字架の上で全ての人に示します。「復讐の連鎖」を、「愛で断つ」思いです。

 

    さて、私たちが挑戦できることがあります。主はここで「恩知らず(5)」という言葉を用います。これは「感謝しない」という意味です。身近な「敵」と、その思いは、心を行き詰まらせます。私たちはせめて、関わりを持たず、出来る「感謝」ありがとうを持ちたいと思います。


2025年2月19日水曜日

2/15.16 防府、徳山

 

 2/23(日)徳山礼拝の説教題は、「ありがとうに花束を」

 1か月前の自分のテンションが、正直思い出せない説教題となっています。

 2/23(日)防府の梅。あと一歩!

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

2/18 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。 

2/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/23 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

3/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ6:17a,2026 (112)

 説教                「負の現実で神は働く」 

   「山上 (マタイ5)」で教えた主イエスは、「平地(17節)」におられたとルカは記します。主は人々と「同じ目線」の意図を示すのです。ルカ福音書のこれまでの「地に平和」「鳩のような聖霊」は「人と共にある神の姿」を示すものでした。「平地の説教」も同様です。

 

   さて「貧、飢、泣く、迫害」は、なぜ起こるのでしょうか。「社会の構造」の根幹には、宗教の原始的な理解がありました。ヨブ記で「友人(ヨブ8)」は、それらの「困難」を「神の祝福の欠如」と結論付けます。主の時代にも残っていたその原始的な理解に、主は向かいます。

 

   このような「祝福の欠如」からの回復には「罪の告白、贖い」が必要でした。「神に近づき、許しを得る」のです。しかし主は「回復しえない人々」に「祝福を告知」されました。「主が近づき、共に交わる」のです。「同じ位置での活動」を、平地で弟子たちに示すのです。

 

   「負の現状は、“不信仰”由来か」という考えは、古くて新しい教えです。少なくとも主が導かれた教えは、そのような「因果応報」を排除します。弟子たちも、やがて「苦しみを喜ぶ(1ペトロ413)」という観点に変えられるのです。今の現状に、主が共におられます。




2025年2月13日木曜日

雪化粧、たぶんウサギだるま、朝の徳山、防府の梅

 2/9(土)朝の徳山礼拝堂の外。路面はバリバリでしたが、11時過ぎには無事に溶けて柳井へ行くことができました。
 2/9(土)柳井に行く直前の製作。たぶん、うさぎでしょう。鬼かな?
 こちらは朝の徳山礼拝堂。
 すこし紅くなってきました、防府の梅。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

2/11 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。 

2/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/16 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/18 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

2/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/23 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ5: 111 (109)

 説教            「実らない努力も大切?」 

    努力しても結果が出ないことがあります。この日の聖書では、漁師たちが「実らない努力」を思い「網を洗う」のです。主はそのような「人間の現実」に入られます。これが、マタイ、マルコの「弟子入り」と異なる所です。人が直面する現実に、主もまた立たれるのです。

 

    時は朝、人々が主を囲み、「仕事探し」を脇に置いて話に耳を傾けています。ところが漁師たちは主に興味なく、「徒労の後始末」をします(2)。漁師たちは、伝道の助けはします。「姑の癒しの感謝」でしょうか。しかし「沖で網を降ろしなさい」の言葉に、難色を示します。

 

   「先生」とは「律法の教師」という意味です。漁師たちは、主は教師、自分たちは漁師と分け、労苦を示します。「夜通しの苦労(5)」を述べた後、船を出します。すると大漁の出来事の後、漁師たちは「主よ」と、主イエスの呼び方を変えます。そして弟子になるのです。

 

   神さまは常に働く方です。そこに気づくのは、波がある「現実」の中で「不調」の時が多いと語るのがこの聖書です。「ゲネサレト」という湖はガリラヤ湖の旧名で、こちらも為政者の変化と共に名称が変えられました。変わりゆく出来事の中、変わらない主を覚えたい。



 

2025年2月4日火曜日

2/1.2.4 六日市の雪道、柳井、防府、徳山

 

 2/4(火)六日市の教会員から教えて頂いた「アイ・キャン」の「錦町県境」

 ライブ配信画像です。2/4(火)10:47現在、良く通る「山賊」という

飲食店の上(かみ)がこのような状況になっています。自然の前には、無力なことを思います。今日の礼拝も、家庭礼拝となりました。

 2/2(日)防府の礼拝堂。手前の紅梅のつぼみがだんだん膨らんでいます。
 2/2(日)朝の徳山礼拝堂。
 2/1(土)柳井礼拝前の様子。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

2/4 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。 

2/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/11 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

2/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/16 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ4:2130 (108)

 説教            「あなたの道は寂しくない」 

    ナザレ村での「安息日」礼拝は、「主の十字架を予見する」結末となりました。「集団の激情」が、主の命を奪う手前だったのです。なぜこの結末に至ったのでしょうか。「集団の激情」は、決して特別ではない人間社会の現実を踏まえ、み言葉を読みたいと思います。

 

ナザレ村を、ルカ福音書は「法令順守」をしない「領主(3:1)」統治下と記します。主は、安息日のナザレの人々のもとに「評判 (4:14)」と共に訪れました。しかし主はイザヤ61章を「報復」まで朗読しませんでした。神の報復よりも「身近な支え」を行う意図でした。

 

評価は「賞賛」と「驚き(22)」でした。「身近な支え」は「賞賛」されたでしょう。 ただ「ヨセフの子(22)」は何か。諸地域を巡る大工の父のように、村に腰を据えない「親子」と揶揄するのです。主は「異邦人対応」の旧約を引用し、多くの民族を見守る神を騙ります。

 

ナザレの人々を一方的な「悪」とは決めません。「特定の民族、自身の村、神の報復」という「従来の形」の信仰だったからです。むしろ主は、特定の人々を重視せず、身近な所での関わりを率先されました。主は「人々の間を通り抜け(30)」、あなたの横におられます。



2025年1月28日火曜日

1/25.26 柳井、防府、徳山の朝

 

 1/28(火)朝の徳山です。明け方は雪がちらつきましたが、

今は止んでいます。これから山間部は雪予報が出ています。

本日の六日市礼拝は、降雪のため家庭礼拝となりました。

 1/26(日)防府礼拝前。穏やかな冬の一日でした。まだ暖かでした。
 1/25(土)柳井礼拝後。

曇りのため、電気を付けています。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

1/28 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。 

2/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/4 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

2/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ4:1621 (107)

 説教                「私には夢がある」 

   主は「イザヤ61:1~2前半」を読まれた後「朗読終了(20)」の意思を表明されました。。朗読後、主は「聖書が実現する(21)」と宣言されますが、この言葉が会堂混乱の契機になります。何があったのでしょうか。主の「目に留まった(17)」聖書箇所と朗読が鍵です。

 

当時の聖書は「章句」がない、平文でした。章句は13世紀に付加されました。平文聖書を開き、主が相応しいと見られたのは、貧しく困難な人々に、神が共にあるとの箇所でした。主は「実現する」という「解釈」も、会堂に集う人々への希望として必要と見たのです。

 

ところが主の意図は、ナザレの人々(に代表される、主の時代の人々)に届きません。ご発言には「主に目を注ぐ(20)」のみ、次の「実現」の言葉に、不規則発言「ヨセフの子だ」という「蔑称」が飛び出します。「イザヤ61:2後半」の実現が人々の求めだったのです。

 

「神の報復思想」は、詩編94編等の旧約に見出され、主の時代も求められていた考えでした。主はその中で「困難な人への支え」に生きる姿勢を鮮明にしたのです。私たちは、この主イエスからの「支え」の延長線上にいる一人です。心の先にある方を覚えましょう。


2025年1月21日火曜日

1/18.19 柳井、徳山、防府、そしてメダカ

 

 1/21(火)徳山礼拝所の朝です。

 晴れの予報ですが、今は曇り。

 1/21(火)先週の寒波を経て、メダカが一匹残りました。

 この鉢が凍結するほどの寒さだったのに。

 1/19(日)防府礼拝所の礼拝前。

 典礼色は緑。

 1/18(土)柳井礼拝所の礼拝前。

 寒椿がいい様子です。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

1/21 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝  

1/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/26 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

1/28 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

2/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ヨハネによる福音書第2章1~11節


 説教                「もう飲めない」 

   「水がぶどう酒になる(9)」光景は、新郎新婦の両親や、執事役のマリアにとって望外の喜びでした。主イエスは、「望ましくない状況」を「しるし」で好転させるのです。私たちは、主のこの出来事に自身の祈りを重ねたいと思います。「状況の好転」を主に託すのです。

 

   別の見方では「現状の支え」とも考えます。「しるし(11)」とは、主イエスを分かりやすく示すものです。この「ヨハネ2章」という脈絡が大切です。2章後半の「宮清め」は、「祭儀の利権」を否定します。この話も、「清め」を否定するのです。「あるがまま」が結論です。

 

   主イエスはなぜこの「しるし」に、「清めの水がめ(6)」を用いたのでしょうか。「衛生」の水がめを、一時的とはいえ用途不能にした意図は何でしょうか。神さまの差配される「結婚式」に「清めるべきもの」はないこと。神さまが全て、受容されることを示したのです。

 

   主イエスは母マリアに「婦人よ、時はまだ来ていません(4)」と語ります。7章でも「時は未だ(8)」と語ります。水がめの清めや、神殿の動物に替わり、主がご自身を捧げた「時」は、十字架の時でした。今はただ主イエスが、私たちの「あるがまま」を受容されるのです。




2025年1月14日火曜日

1/11.12 柳井の折り紙、防府、徳山

 

 1/14(火)朝の徳山礼拝堂です。外気は1度という表示です。

 外掃除はグローブが必須の時期です。

 1/12(日)防府の献花。可愛い紅い花たち。
 1/11(土)柳井の「一粒の麦」の方から頂いた作品集。

 「やさしい どうぶつえん」と表題がついています。




今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

1/14 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝  「家庭礼拝」を訂正し、集います。

1/18 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/19 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

1/21 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

1/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/26 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ3:1517,2122 (106)

 説教            「今日、素敵な日になります」 

   今日の聖書は「期待と理解」となります。主イエスは「厳しさ」を期待されていましたが、主イエスご自身は「優しさ」を必要と理解したのです。さて、「洗礼者ヨハネ」が見た世の中は、為政者の不始末、宗教者の欲、民衆相互の無関心(ルカ3章)という現実でした。

 

   ヨハネは、自身の「清貧」を民衆の「貧の現実」に当てはめようとします。「極限までの分かち合い」を求め、自身の言のために主イエスを「聖霊と火の洗礼者(16)」として登場させます。刺激的な表現ですが、これは「神の一側面(申4:24、ヘブ12:29)」となります。

 

「神の意志は不純を焼く」から「愛に励め」という思考です。しかし主イエスはどうか。民衆と同じ出発点に立つという意味の洗礼後に、「鳩」を例示した聖霊の降臨を告げます。なぜ「鳩」なのか。鳩は「贖いの動物」であり、「ノアの洪水時」に陸地を示した動物です。

 

神は主イエスの受洗時に、人々の罪を負い、道を示す二つの使命を託したのです。「天からの声」は、イザヤ42章の引用です。この時の神様も「優しさ」を示していました。生きることだけで精一杯の時代、「愛の神さま」を示し、他者への関心を主は示されたのです。




2025年1月7日火曜日

1/4.5 柳井、徳山、防府

 

 1/5(日)防府の礼拝堂の献花。かわいらしいものです。

 顕現主日の礼拝となりました。

 1/5(日)防府の礼拝堂、遠景です。
 1/5(日)徳山の礼拝堂。早朝と思われます。
 1/4(土)柳井の礼拝堂。

新年の礼拝は、それぞれの礼拝堂で行われています。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

1/11 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/12 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

1/14 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝  家庭礼拝です。

1/18 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/19 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

マタイ 2: 111(2)

 説教         「あなたの仰せを守らせて下さい」 

   「占星術の学者(1)」が、「王子の誕生」を知ったことは、ユダヤの人々に皮肉と言えます。「占いの術」は、申命記13章が「異教的」意味から禁止するものでした。一方「救い主」は、イザヤ9章他が預言していました。マタイの意図は、「異邦人」に脚光を当てるものなのです。

 

   学者たちの思いは「黄金等」が意図する通り、「王子への表敬訪問」でした。「救い主」の意識は不在と考えます。一方「民の祭司長」たちは「王子の誕生報告」を受けて聖書を調べ「ベツレヘム」と誕生の場を特定します。余談ですが、彼らは聖書の本文を替えます。

 

   この時期「ヘロデ神殿」は建設中のため、祭司長たちは大王に忖度し「聖書と自身の生き方」を曲げます。「小さくない」との断言が、大王の猜疑心を煽ります。学者たちも「導き」を見失います。「王子は首都在だ」という思い込みが、大王の猜疑心を掻き立てるのです。

 

   「道を見失い、見誤る」のは、全人的な課題と聖書は言います。神や主イエスはその都度、道を示すものなのです。クリスマス物語は、「意外な人」である「羊飼い、占星術の学者」が登場します。「神の愛からは遠い」と見られている人々に、主イエスは近くおられます。