2025年4月12日土曜日

4/6 芝桜、山賊桜

 

 4/9(水)六日市と錦町の県境「山賊」の一角からの写真です。

 足湯は営業中止中でした。

4/6(日)と思われる、徳山芝桜。今はもう少し咲いています。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

 

4/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/14 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/16 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

4/19 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/20 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ヨハネ12: 1 8 (191)

 説教               「今日、できること」 

   「ラザロの復活(11章)」はラザロ家に喜びを、「最高法院」には主への嫉妬を与えました。エルサレム入城前に、主は再び「べタニア」に向かいます。この村は「悲しむ者の村」という意味です。主は人々の「悲しみ」に、ご自身の心と歩みを寄せられる「証し」となります。

 

   ラザロ家で、再度宴席が開かれます。マルタはもはやマリアを罵倒せず、主を「もてなし」ます。マリアは一年分の労働価値の「香油」を主に塗ります。兄弟ラザロを「復活」させた主への感謝の思いと見なせます。マルタもマリアも「今ここで」出来ることを行うのです。

 

ユダの「施しに使えたのに」という進言は、金銭的には合理的に聞こえます。一人よりも大勢の幸福を考えることが出来るからです。しかしユダの内心が明かされます。そして主とユダの見ているものの違いが明らかにされます。それは「人の真心」という点になります。

 

ユダが見失い、主が見たものは「真心」でした。一方で、ユダが気にしていた「貧しい人々」のことも主は気にされます。今は「一緒に居られない」ですが、十字架によって「いつも共にいる」ようにされました。私たちは今日、真心の行いが主の眼差しにあると覚えたい。