4/9(水)六日市と錦町の県境「山賊」の一角からの写真です。
足湯は営業中止中でした。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
4/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
4/16 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
4/19 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
4/20 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
□ヨハネ12: 1~ 8 (新191)
□ 説教 「今日、できること」
「ラザロの復活(11章)」はラザロ家に喜びを、「最高法院」には主への嫉妬を与えました。エルサレム入城前に、主は再び「べタニア」に向かいます。この村は「悲しむ者の村」という意味です。主は人々の「悲しみ」に、ご自身の心と歩みを寄せられる「証し」となります。
ラザロ家で、再度宴席が開かれます。マルタはもはやマリアを罵倒せず、主を「もてなし」ます。マリアは一年分の労働価値の「香油」を主に塗ります。兄弟ラザロを「復活」させた主への感謝の思いと見なせます。マルタもマリアも「今ここで」出来ることを行うのです。
ユダの「施しに使えたのに」という進言は、金銭的には合理的に聞こえます。一人よりも大勢の幸福を考えることが出来るからです。しかしユダの内心が明かされます。そして主とユダの見ているものの違いが明らかにされます。それは「人の真心」という点になります。
ユダが見失い、主が見たものは「真心」でした。一方で、ユダが気にしていた「貧しい人々」のことも主は気にされます。今は「一緒に居られない」ですが、十字架によって「いつも共にいる」ようにされました。私たちは今日、真心の行いが主の眼差しにあると覚えたい。