5/12(火)徳山は既に、初夏の日差しとなっています。
メダカに給餌。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。お待ちしていますね。
5/13 水曜日 16時 六日市チャペル
5/16 土曜日 15時 柳井チャペル 礼拝
15時30分 防府チャペル 礼拝
5/20 水曜日 16時 六日市チャペル 礼拝
5/23 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
5/24 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
5/10(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。
復活節6主日 説教
ヨハネ福音書14章15節-21節 「さようならは言わないで」
水原一郎
① ヨハネ14章は、主イエスが「ひと時の別れ」を語られた箇所です。しかしそれは、見捨てる別れではありません。すでに主イエスは、「わたしが道であり、真理であり、命である」と語り、ご自身によって父のもとへ至る道であることを示されました。十字架の出来事によってです。その上での別れです。けれど弟子たちの心には、「自分たちは置き去りにされるのではないか」という不安が広がります。この不安は、私たちにも重なります。一人で歩まなければならないと感じるとき、同じ思いにとらわれるからです。しかし主は、そのような心に向けて、「あなたは決して一人ではない」と語られます。
② 主イエスは言われます。「あなたがたはわたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」。ここで言われる掟とは、「互いに愛し合いなさい」という主の言葉です。しかしこれは、努力によって守られる単なる命令ではありません。主がまず私たちを愛してくださった、その事実に根ざしています。愛された者として、その愛に生きる――それが戒めを守るということです。あえて努力のことを言えば、「愛されることを覚える」のです。主は別れに際しても、弟子たちをこの愛の中に留めようとしておられるのです。
③ それでも弟子たちは不安を抱きます。そこで主は、「別の弁護者」を与えると約束されます。これは「パラクレートス」、傍らにいて語る者、弁護する者、すなわち聖霊です。主イエスが去られる代わりに、別の存在が来るのではありません。主が開かれた道の中で、なお主ご自身が共におられる、その仕方が語られているのです。だから主は言われます。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」。見えなくなっても、主が離れることはないという約束です。
④ 聖霊は、弟子たちの心を整えるために与えられます。主は言われます。「あなたがたはわたしを見る」「わたしはあなたがたの内にいる」と。聖霊は、私たちの内にあって主イエスを思い起こさせ、主の言葉を生きたものとして響かせる方です。「あなたは見捨てられていない」と語り続ける方です。例えば、こんな経験はないでしょうか。どうしてよいか分からず、心が落ち着かないとき。祈ろうとしても、言葉にならないときです。けれども、ふと聖書の言葉が思い起こされることがあります。あるいは、以前聞いた説教の一言が心に浮かぶことがあります。そのときは、状況が変わったわけではありません。しかし、「ああ、自分は一人ではない」と、どこかで思わされるのです。それは、自分の力で思い出したというよりも、主が近くにおられることを気づかせられた。そう言うほうがふさわしい出来事ではないでしょうか。
⑤ 主イエスは、父のもとに場所を備えるという希望を示されました。そして同時に、今ここで聖霊によって共におられることを約束されました。やがての備えのことと、今の臨在。この二つは、主イエスご自身によって結び合わされています。例えば、誰にも頼れず、一人で決めなければならないときがあります。祈ろうとしても言葉が出てこないときもあります。そのとき私たちは、「自分は一人だ」と感じます。しかし主は言われます。「あなたがたをみなしごにはしておかない」。見えなくなることはあっても、主が離れることはないからです。だから「さようなら」は告げられていません。
その確かさの中で、今日もまた、主と共に歩み出したいと願います。


