8/10(日) たどり着くのが困難なほど、山口県では豪雨となっていました。
防府の礼拝は、短い形で守り皆さまの帰宅を見送りました。
8/10(日)徳山の教会員が召天をし、ご葬儀が8/11.12と行われました。
ご家族に天来の慰めを覚え、祈ります。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
8/13 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となります。
8/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝 8
8/20 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
8/21 木曜日 牧師 広島出張
8/23 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
8/24 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
8/10(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。
聖霊降臨後第9主日 説教
ルカ福音書12章32節-34節 「小さな群れに寄り添う神」
水原一郎
① 本日はルカ福音書12章32–34節の御言葉から、「恐れの中で生きる私たちに寄り添う神の養い」についてご一緒に味わってまいりましょう。冒頭の「小さな群れよ、恐れるな」という言葉――皆さんはどう聞かれるでしょうか。正直に言えば、恐れることはたくさんあります。健康のこと、家族のこと、将来の生活、経済的な備え、人間関係の行き詰まり…。弟子たちもまた、不安のただ中にいました。
② 今日の言葉の前には「財産の相続」に関するやりとりがあります(12:13–15)。ある人が主イエスに「兄弟に、遺産を分けるよう言ってください」と訴えます。申命記の律法では権利は守られていましたが、この人は「少しでも多く欲しい」と思ったのでしょう。しかし主イエスは介入せず、「あらゆる貪欲に気をつけなさい」と警告されました。そして「富を積んでも命の長さは変わらない」というたとえを語られ、「野の花」「空の鳥」のように、神の養いを信じて生きる道を示されます。ここには、「得ることに執着する生き方」から、「神の備えに喜ぶ生き方」への招きがあります。
③ 「神さまの備え」とはどういうことでしょうか。32節で主イエスはこう宣言されます。「あなたがたの父は、喜んで神の国をくださる」。二つのことが、言えます。一つ目、ここで使われている「喜んで(ギリシャ語
eudokeō)」は、「心から望み、進んでそうする」という意味です。神はいやいや与えるのではなく、喜びをもって、積極的にあなたに備えてくださる―これが一つ目です。二つ目。神の国とは単に死後の天国のことではありません。神の支配と導きが、いまこの地上であなたの歩みに及んでいる状態です。つまり「あなたに必要なものを、神は喜びをもって、今から与えられる」という約束です。
④ 33–34節では「持ち物を売り、施し、天に富を積め」と命じられます。弟子たちはきっと思ったでしょう――「全てを捨ててきたのに」「そんなに簡単に手放せるだろうか」。また「このような無一物の教えが受け入れられるだろうか」と。しかし主イエスは、ここでは「関わり」を言われます。「神が備えてくださるから」何もしなくていい、ということではありません。むしろ、自分の持ち物を他者に捧げ、他者の賜物を頂くという関わりです。「売り」「施す」という言葉から、金銭や物質に限定されがちですが、主イエスは「人と人との深い関わり」を語るものなのです。
⑤ 新しい職場、初めての学校、慣れない場所、病院や施設…私たちは知らない場所に行くとき、不安を覚えます。しかし、そこに自分を心から歓迎してくれる人がいると分かれば、安心できます。私たちの人生のこれからの道も同じです。先が見えないとき、不安はつきものです。けれども、その先で待っているのは、あなたを歓迎し、喜びをもって必要を備える神です。
⑥ 「宝を天に積む生き方」というものは、どのようなものでしょうか? 私たちの日々は、「何が人に喜ばれるか」を中心に置いたものと言えます。「何が神に喜ばれるか」を加えることは出来るでしょうか? 頂いているものを、神さまにお返しをする生を覚えたいと思います。