2017年2月12日日曜日

2/12 献花と礼拝


本日の献花です。水仙が特に来たりつつある春を思わせてくれます。

徳山は時折雪がちらついていますが、今は晴れています。

本日も礼拝が行われ、その後愛さんが行われました。

記録的な大雪の中で、豪雪地帯六日市から来られた兄弟姉妹に感銘を受けました。

今週の予定は以下の通りとなっています。

2/14(火)15:00 徳山 聖書を学ぶ会

2/16(木)13:00 益田 小浜礼拝
      14:00 益田 元町教会礼拝

      19:30 六日市礼拝

2/19(日)10:45 徳山 礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。

本日の礼拝メッセージは以下の通りです。



【マタイ福音書521-26節】
聖書の前半は、「自身が誰かに腹を立てる場合」の、後半は「誰かが自身に腹を立てている場合」の主の勧めです。主の結論は、前半に関しては「腹を立ててはいけない」、後半は「早く和解しなさい」です。さて、聖書を読む際に肝心なのは、自身を棚に上げないことです。しかしあえて自身を棚に上げて考えれば、この聖書が良く分かって来るのです。棚に上げて考える内容は、「このように言われる主イエスはどうだったか」です。

マルコ35、マタイ11201913などを見ると、あれと思います。主も怒り、憤り、叱るのです。理不尽にも怒られます。主の立腹は、み言葉を聞かない人々、ご自分の思いとは違うことをする弟子たちへのものですが、その怒りは良いのか。或いは、主はファリサイ派や学者たちから怒りの眼差しを集めましたが、主は十字架に付けられる前に和解したか。自分自身を棚に上げて考えると、そのような主の姿が聖書を通して私たちの目に飛び込んで来ます。

怒りや憤りには理由があります。主と私たちの怒りの違いは、「自分の怒りに責任を持てるか」否かです。私たちの怒りとは、炎が収まっても煙で相手を燻し続けます。人からの怒りも、放っておくことが多いでしょうか。けれど主は、弟子たちや人々を怒っても、赦した。また律法学者から「裁判」で訴えられ、最終的に、ゴルゴタで十字架に架けられた。主は自身の怒りと結果を受容された。私たちとの違いです。

「腹を立ててはならない」「すぐに和解せよ」不可能であることは、自分を棚に上げ、主の姿を見ることで分かります。自分を棚に上げて、主の姿を見ることが大事なのです。私たちには、怒りの結果を受容することも出来ません。それで良いことを知りましょう。出来れば、自身の憤りをも祈りとしましょう。そこから赦しが始まってくるのです。