2017年4月3日月曜日

4/2 礼拝と献花と作業

  4/1 益田市 小浜町です。この海が見える処で礼拝が行われています。
  4/2 徳山の礼拝堂献花です。水仙と桜です。

 4/2 礼拝後の奉仕目的地です。雑草(という名前の草はありませんが)の栽培地です。
それを皆さんで慣らして、何か野菜を植えることを計画しています。

4/1は益田、六日市で、4/2は徳山で礼拝が行われました。

徳山礼拝後には、徳山C農園開園準備作業をいたしました。

今週も徳山、益田、六日市では以下の礼拝、集会が予定されています。

4/4(火) 15:00 徳山 聖書を学ぶ会。

4/8(土)13:00 益田 小浜礼拝
      14:00 益田 元町礼拝
      19:30 六日市礼拝

4/9(日)10:45 徳山 礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。

本日の礼拝メッセージは以下の通りです。



【ヨハネ福音書1117-53節】
聖書の中で最も短い節は「イエスは涙を流された」です。主の涙をどう理解したら良いか。聖書はラザロなる人物の死の場面です。単純に考えられることは、ラザロを覚えての涙、姉妹であるマルタ、マリアへの同情の涙です。主の涙には特徴的な表現が用いられています。主の落涙表現には「耐えて堪えて、心が高ぶって涙がほろり」という言葉が用いられています。

ラザロの死の二日前に話はさかのぼります。ラザロ宅に行こうとした主でしたが、なぜか二日間の日留めをするのです。どうして直ぐに行かないのか。もちろん直ぐに行くこともお出来になったのですが、「神の栄光」を表すため、出発を遅らせたのです。ラザロの死を待つかのようです。恐らく、召されたラザロに奇跡を示して、復活させる心だったのです。

一方、マルタとマリアの姉妹は弟ラザロ、そして遅い主のために気を揉んでいます。そうこうしている内にラザロは死んでしまいます。長姉マルタは気丈にしつつ主を責め、次姉マリアは涙しつつ主を責めます。「神の栄光」のために、一人のラザロを死なせてしまったこと、二人の姉を悲しませたことを主は恥じたのではないか。「心に憤りを覚え、興奮した(34)」主の心は、ご自身を責める思いで一杯だったのではないか。主もここで、落涙なさるのです。

ラザロは「蘇生」させられます。この蘇生の意味は何か。主はラザロ、マルタ、マリアに「希望を伴う死」を教えたかったのです。死とは無になるのではない。地上の死の後も永遠に生きることが出来る。地上の生涯の終わりに目を閉じる時も、「また会いましょう」の希望がある。いずれこのラザロも「二度目の死」をキプロスかフランスで迎えます。その際ラザロは、懐かしい主に会えるという気持ちだったでしょう。主は共感の方でもありますし、何よりも私たちの為にも涙して下さる方です。その気持ちの中で、地上の日々を過ごしたい.