2018年6月3日日曜日

6/2.3 穏やかな海と献花と礼拝

  6/2 小浜礼拝前の海です。今日は実におだやかな海でした。
 この後、小浜、益田、六日市では礼拝が行われました。
 この日も山陰は日中は暑い陽気でしたが、夜の六日市は涼しくなりました。

  6/3 徳山献花です。アジサイの花です。

  6/3の写真ですが、献花は5/27のものです。
 一週間たっても、礼拝堂の献花は元気そのものです。
6/3 教会員の庭の花の献花(と思われます)です。

 聖霊降臨後第2主日の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。

1 聖餐式を伴った礼拝は、今年初めてクーラーを入れた礼拝堂で行われました。
  聖餐式の陪餐の時に、未受洗の赤ちゃんがパン皿に手を伸ばそうとする光景は
  ほほえましいものがありますね。
  今日は聖餐式で失敗の一歩手前でした。
  ぶどう酒とジュースを間違えて配さんしそうになりました。気付いて良かった。
2 本日も仕事をされている方々のための祈りがなされました。
3 礼拝後には味噌汁、そしてキノコご飯を頂きました。
  大釜で炊くご飯は美味しい、大鍋での味噌汁も美味しいですね。
4 今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。

6/5 火曜日 15時 聖書の学び
6/7 木曜日~6/8 金曜日 名古屋出張
6/9 土曜日 13時 益田市小浜礼拝
        14時 益田教会礼拝
        19時 六日市礼拝
6/10 日曜日   10時45分 徳山礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。


【マルコ福音書第2章1-12節】
 文章、書物に限らず人の作品にはその作成者の思い、主張が刻まれるものです。「福音書」とは、主の言葉や行いが編集されたものですが、編集者「マルコ」を初めとする人々の気持ちが込められています。マルコ福音書の主張は2つです。一つ目「イエスさまは神の子 (1:1)」、二つ目は「神の子イエスさまは信じる人々だけでなく周囲にも恵みを及ぼす(2)」ということです。主を信じる信仰は「わたし」個人のものです。しかしその「わたし」から、恵みは溢れて周囲に及んでいく。自然に及んでいくことが今日の福音書の日課でも語られるのです。

 主の時代の「屋根」には色々ありまして、富豪の家はともかく、それ以外の家は「粗朶(そだ)」枯れ枝を集めて束にし、その上に土を練って塗って天日で乾かしたのです。ここに「中風」体にマヒが及んでいる人がいました。このような境遇の人は、自宅から誰かに朝に外へ連れ出してもらい、日中は物貰い、夕方に家に帰してもらう一日を送っていました。その彼が、主の噂を聞きつけたのです。いつも自分を助けてくれる4人に助力を頼んだのです。

 ところが主の家は黒山の人だかり。4人は、道なきに道を作りました。その道とは屋根から家に入るという斬新なアイディアです。枯れ枝と土ぼこりが家の中に降り注ぐのですから、主もほこりまみれになったでしょう。しかし主は、この4人に「信仰」を見ます。「主を求める人を助けた」からです。主はここで「屋根を壊した」ことも信仰から派生した行動と考えた。信仰とは祈りや礼拝への参加だけを言いません。一方の存在は、律法学者です。

 彼らはこの2章で主に付きまとっています。主の一言一句が気に入らないのです。その彼らに聞こえるように主は「罪の赦し」を中風の人に告げます。中風は罪の罰ではない。病や障害も罪の結果ではない。この言葉は、中風の人が社会復帰するための必要な言葉だったのです。主は、4人の助力を通して中風の人を癒されました。4人の信仰が中風の人に及んだということです。私たちの信仰は、私たちのものです。しかし私たちの器を通して、周りに及んでいくのです。私たちは器、その器にこぼれんばかりに主の愛が覆っています。