2018年6月10日日曜日

6/9.10 海と献花と礼拝


  6/9の小浜海岸の様子です。
 益田に至るまでの気温計は30度以上になっていました。
 海岸も同様の気温だったのでしょうか、風がありましたのでカラっとしていました。
 この後、元町、六日市でも礼拝が行われました。

6/10の徳山礼拝献花です。
 本日も会員の方が、ご自分の庭で咲いた花をお捧げ下さいました。

聖霊降臨後第3主日の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。

1 礼拝前には、昨日お孫さんの運動会に行かれたN姉、
  風邪を引かれたと言われるK姉からお休みの連絡を頂きました。
  それぞれの姉妹方のためにお祈りがなされました。
2 礼拝の報告時に、先に行われた「女性会連盟 総大会」の報告がなされました。 
3 礼拝後には味噌汁、そしておかかおにぎり、わかめおにぎりを頂きました。
  いつかの礼拝後にも出された「らっきょ酢とオリーブオイルのドレッシング」が
  茹でキャベツにいい味を加えていました。
4 今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。

6/12 火曜日 15時 聖書の学び
6/16 土曜日 益田市小浜礼拝 休みとなります
        益田教会礼拝 休みとなります
        六日市礼拝 休みとなります
6/17 日曜日   10時30分 六日市合同礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。



【マルコ福音書213-17節】
 マルコ福音書の初めに主は「癒し」を多く為さっています。神さまから託された力を用いた意図は、当時の宗教界への反発心から来るものでした。当時の宗教者が見捨てた人々、つまり「神さまはお前のことを愛さない」と断ぜられた人々に、主は関わりを持たれたのです。確かに主は、多くの人を「立ち上がらせた」訳ですが、全てがそれではありません。その当人が立ち上がる手助けを為したこともあるのです。それが今日の聖書に現れています。

 手がかりが、主が言われた「医者」への考察です。「医者」とは当時はどのような働きを為したか。今の私たちから見れば、理解し得ない治療と思える部分も、理に叶った働きと思える部分もあります。ただ当時の医者について好意的に言えば、「病気を治療するのでなく、当人が病気と闘えるような治療をする」わけですし、「当人の身体ではなく、当人の心に働きかける」ことが大でした。主は、当時の医者の呪術的な部分でなく、医者の根幹の部分、つまり「当人の心を支え、育む」ということを今日の聖書で徴税人のレビに為されるのです。

 「湖のほとりの収税所」にレビなる徴税人が座っていました。当時徴税人は、才覚次第で多くの実入りを得られる身分でした。立場を誇示し、強制的に徴税することによってです。その代価は、市井の人々からの偏見と憎悪、十戒違反(第8、第10)と宣伝する律法学者からの蔑視であり、加えてノルマ達成を求める上司からの圧力もありました。「座っていた」レビの心中は如何なものか。主はそのようなレビに声を掛けられましたが、声を掛けられた時のレビの心中はどのようなものがあったか。週報ではあえてその答えは記載しません。

 主は確かに「癒し」を為さいましたが、それに終始しませんでした。癒しが必要なときには癒し、むしろこのレビややがての弟子たちへの関わりは、育てる、支えるということに終始されたのです。それぞれの時に相応しい助けを給うのです。私たちも、コヘレト書が語る如く昔も今もこれからも、様々な人生の時を迎えるものです。その時に応じた助けを、主は私たちに下さる。立ち止まる時は、主の御助けの中で、立ち上がる備えの時なのです。