2019年1月13日日曜日

1/13 礼拝と片付け

1/13 本日の礼拝堂です。
本日の礼拝には、5歳の頃?に来られた方がほぼ13年ぶりに礼拝に来られました。
受験を控えておられるとのこと。良き将来の道が備えられるよう、皆で祈りました。

礼拝後、また先立つ先週の火曜日(1/8)にはクリスマスの片付けが行われました。

礼拝後にはおでんを頂きました。

昨日1/12 益田/六日市礼拝から帰って教会を開けると良い香りがしていました。
やはり大根です。

今週の教会の予定、牧師の動静は以下の通りとなります。

1/15 火曜日  11時   牧師 柳井行き
        15時 徳山聖書研究

1/19 土曜日 14時 益田礼拝
        19時 六日市礼拝 

1/20 日曜日   10時45分 徳山教会礼拝
  

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ルカ福音書315-22節】
 2019年は「戦後74年」を経た年です。私たちの中で、戦後の焼け野原、バラックの様相を知る人は僅かかもしれません。このルカ福音書こそ、「ユダヤ戦争後」に、密かやに上梓された書物でした。信仰の象徴である神殿は崩壊し、安住の場所である国土を蹂躙されたユダヤの人々に希望となるべく、ルカは主の立ち位置を様々な所で工夫して記載します。今日の聖書も含め、ルカの強調点は「同じ目線に立って下さる主」の姿なのです。

 そのような主の姿と対比的に描かれるのが、今日の聖書の「洗礼者ヨハネ」です。元々ヨハネは、両親ともに神殿祭司の系統で、自身も祭司の身分が終生保障されていました。しかしヨハネは、神殿祭司の立場を捨てて修道僧となります。父母の家を出て荒野に出向き、厳しい言葉を広く届けました。宗教者には既得権益の放棄と自浄を、政治家にはモラルを求め、声高な発言を繰り返したのです。しかし、宗教者はともかく政治家の頭であるヘロデはヨハネの発言をどう受け止めたか。逮捕、投獄という形で答えました。

 神の言葉を語る者として、宗教者の堕落を指摘するヨハネの言動は勇ましいものがあります。ただ、強弁が招いた破滅をルカが記載していることも事実です。そのような中で主は洗礼を受けられるのです。主の洗礼の意味は様々なことが言われていますが、このルカ福音書の上記の特徴点から重ね合わせて言えば「同じ目線に立つための洗礼」と言えます。神の子である主が、罪びとである人間と同じ位置に立つための洗礼なのです。

 マタイ福音書で山上から教えている主が、ルカ福音書ではどこにお立ちになっているか。エマオへの途上をとぼとぼ歩む二人の弟子に、主はどのようにして近づくか。先立つクリスマスで、神さまが天使に歌わせた讃美歌の歌詞は何か。「地に平和」つまり、戦後の悲惨な時期を過ごす人々の心に平安あれと歌うのです。私たちには、私たちの戦いがあります。最前線で戦い、或いは最前線で戦う人の補佐をする働きです。ルカが語る「同じ目線で生きる主」は、今週も私たちと共にある。共に前に少しずつ進みたい。