2019年5月12日日曜日

5/11.12 礼拝と献花

 5/11 柳井教会の礼拝堂です。
 礼拝堂中央の赤じゅうたんが、日焼けしてしまったので変えようか、
 そんな話を教会員さんといたしました。
2月に産まれた赤ちゃんの賛美の声と共に守る礼拝は格別でした。
  5/12 防府教会の礼拝堂です。
 今日は母の日。教会の母として、OさんとMさんにTさんからカーネーションが
 送られました。見えにくいのですが、献花がピンクのカーネーションです。
  5/12 徳山教会の礼拝堂です。
 夜、撮りました。 こちらもカーネーションが贈られました。
 徳山では讃美歌は教団讃美歌を用いています。
 「まぼろしの影を」510を賛美しました。

今週、来週のシオン教会礼拝は以下、記載のとおりとなります。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

5/14 火曜日 15時 徳山聖研

5/15 水曜日 19時 六日市C礼拝

5/18 土曜日 15時 柳井C礼拝

5/19 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝 

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


ヨハネ1022-30
 エルサレムは標高が800メートルほどの高原都市です。冬は寒く、雪が降ることもあったようです。聖書は「神殿奉献記念祭」が「冬」に行われたことを記載しています。しかし「冬」なのは、何も季節のことだけを言いたいのではないと考えます。主の胸中、主を取り巻く状況も「冬の寒さ」だったのではないか。そのような意図を感じるのです。そして「冬の寒さ」とは何も主だけのことではない。私たちも諸事に直面した時に感じるのです。

 「冬の寒さ」とは、時に厳しく時にまとわるように迫るものです。この時主は既に「宮清め」を為した後でした。主を見るユダヤ人宗教者の目線は厳しいものがあります。エルサレムとはその宗教者が渦巻く場でもあります。「神殿奉献祭」とは、経緯は省きますが「国威掲揚祭」のようなものです。主に問われることは「いつまで気を揉ませるのか」と。救い主なら救い主に相応しい行動をとって欲しいし、違うのであればそのように断言して欲しいということなのです。主に厳しい目線と、人数の圧迫で迫る宗教者たちです。

 このような厳しさの中にたたずむ主は決然としています。「私と父とは一つである」つまり、神さまがいつもご自身と共にあると最後には言われます。一方、迫られた直後には、問われたことと何の繋がりがあるのか分からないことを述べられます。宗教者が望むことは「政治変革するメシア」であり、主が言われるのは「忍耐を語り、共にあるメシア」というズレまでは分かりますが、その後「羊のたとえ」が意味することは何か。これこそ「あなたを導くみ言葉に耳を傾けよ。み言葉は常にあなたを導こうとする」という約束なのです。

 「冬の厳しさ」の状況は時に私たちに迫ります。私たちは例えば祈りの中で「主よ」と祈りますが、この宗教者への答えと同じく、意図しないもの、想定しないことが帰ってくることも多々あります。しかし神さまは、常に、今置かれている場所の中で私たちを導こうとされるのです。主の「私と父とは一つである」の言葉を大切にしたい。私は私なのですが、その私に主が共にある。つまり神さまの導きと支えが私たちを常に覆っているのです。