2019年11月3日日曜日

11/2.3.6

 写真はいずれも先週、宗教改革礼拝のものでした。
 柳井Cには、セタホーム元宣教師 のご次男、キース氏と奥さまが来られました。
 徳山C。こちらも宗教改革主日。
防府Cでは草刈りがなされました。

今週、来週の予定は下記の通りです。

11/6 水曜日 19時 六日市礼拝

11/8 金曜日 14時 聖書を学ぶ会 於:徳山 
 
11/9 土曜日 15時 柳井C礼拝

11/10 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
        15時半 防府C礼拝
 
11/13 水曜日 19時 六日市C礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


ルカ福音書 191-10
 かつて日本では、クリスマスの意味は知られていませんでした。しかし今は殆どの人がご存じであると思います。ハロウィンも然り。ハロウィンとは、本日私たちが集う「全聖徒の日」の前夜集会です。日本の「お盆」のように北欧の方々も「召天者」を迎え、召された方々と久方ぶりに邂逅する。それがハロウィンであり、全聖徒日の前日なのです。神さまが御国に「招かれ、召された」方々と同じ部屋で聴くみ言葉は、「ザアカイの招き」です。

 大の大人が木に登ってまで、主を見ようとする。その「大人」が嫌われ者のザアカイ、徴税業務を職業としていました。いみじくも彼が「だまし取る(8)」と明言した如く、乱暴以上の働きをしていたようです。そのザアカイを周囲の人も「(神と人とに)罪深い(7)」と理解していました。そのザアカイが主の噂を聞く。主の姿を一目見ようと思いますが、「群衆に遮られる(3)」のです。その状況で彼が思いついたことは「桑の木登り(4)」でした。

 ザアカイの内面は推測するしかありません。一般論としてこの時代、徴税人は「神のみ前から“失われた”人」と見做されてきました。平たく言えば、当時の宗教者が神さまのみ名を持ち出して「(職業)差別」を行っていたのです。当初からか次第にかは分かりませんが、ザアカイも周囲のその目線を痛々しく思っていたのでしょう。なぜザアカイが主を見たいと思ったのか、それは不明です。しかしそんなザアカイのことを主は見ていた。「失われたものを探す(10)」という主の言葉は、ザアカイとこの私たちに告げられます。

奥さまを先が先に天に召された男性が、ある日「戸を叩く」主の絵を見出されました。恣意的な引用ですが、主は「失われたもの」「見出されないもの」を探す方なのです。初代の教会は「キリストの陰府への宣教」を語り、その名残は1ペトロ、使徒信条にあります。ルター派の「和協信条」にもあります。主は、生ける者にも召された者にも、み言葉をたえず語って下さるのです。御国へと招かれるその日まで、主の眼差しを覚えたい。