本日も礼拝が行われました。
冬の寒さ、厳しい折ですが、献花は春を匂わせる彩りのものです。
冬来たりなば、春遠からじ、と思えます。
礼拝後には、讃美歌 アメージング・グレイスの合唱、
豚汁とワカメおにぎりの愛さんを頂きました。
来週も礼拝は、 1/25(日)10:45から行われます。
どなたもご自由にお越しください。
本日のメッセージ要旨です。
【説教要旨】 マルコによる福音書1章12-20節
「全ては頂きもの」とは今年の主題聖句です。今日の聖書にもその使信が記載されています。冒頭に登場する「ガリラヤ」とは地域名です。今日の聖書で主はガリラヤに登場し、その漁師たちを弟子とするのです。実は、主が復活の朝、墓にいる青年は「ガリラヤに行け」と墓参りのご婦人がたに語るのです。ガリラヤは、この弟子たちが再び主と出会う場にもなるのです。
まず、主が漁師たちを弟子にしたという所です。これは、この世の順序とは逆でしょう。私たちが、選ぶ側なのです。だが主は違う。主が選ぶ側なのです。漁師たちは選ばれたのです。「人の漁師」の意味するところはこうです。主は当時の世相を皮肉るのです。海や湖は暗闇の世界。人々はその中でもがく。もがく人々を助ける者に為すと、主は漁師たちに言うのです。
実は当の漁師たちも暗闇の中でもがく者でした。主の時代のユダヤはローマの植民地でした。「ブラック企業」まさにその状況が当時の漁師たちでした。その漁師たちの実情は、他でもないガリラヤで育った主がご存じ。主はまず彼らを「捕え」ます。それが「時満ち、神の国接近」の意味です。苦しい労役の時は満ち、主が彼らに近づくのです。それ故に弟子となったのです。