徳山教会の壮年たちです。
設置しましたが、まだ光は見えません。昼間ですものね。
アドベント第一主日の献花でした。
子どもたちが、教会の方々と一緒にツリーの飾りつけです。
この木は、右のご婦人が教会に植えたものです。
アドベントロウソクたてと燭台です。
手前の黒いお皿は、子ども用のアドベントロウソク立てです。
今週、来週と礼拝は以下の日程で行われます。
12/4 火曜日 午前 水原牧師 柳井
15時 徳山聖書研究会
12/5 水曜日 牧師 出張
12/6 木曜日 牧師 呉安浦 出張
12/8 土曜日 牧師 大阪 出張
13時 益田市小浜礼拝 休会といたします。
14時 益田教会礼拝 家庭礼拝といたします。
19時 六日市礼拝 家庭礼拝といたします。
12/9 日曜日 10時45分 徳山教会礼拝
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
【ルカ19章28-44節】
史上初のキリスト教の讃美歌は何か、という問いを考えたことがあります。時代が古い歌はいくつもありますが、「キリスト教の」讃美歌と限定した時には、今日の聖書に登場する文言もその候補の一つです。弟子たちが主を「主に祝福、天に栄光」と歌いかけるからです。賛美とは、神さまや主をほめたたえるものです。しかし弟子たちの賛美の言葉はさらにその由来をさかのぼることが出来ます。主降誕時の天使による讃美歌です。
主降誕時、天使たちは「天に栄光、地に平和」と歌います。しかしここで弟子たちは「天に栄光」のみを歌うのです。なぜ「地に平和」と歌わないのか。弟子たちの単純なミスかもしれない。一方で弟子たちは主に「地の平和の実現力」を見出せなかったのかもしれない。主は確かに神さまのご栄光を、奇跡という形で示されましたが、一方で宗教者たちとは軋轢を深められる一方でした。また主ご自身もこのエルサレム入城に際して選ばれた乗り物がロバの子。それらを総合的に見て弟子たちは主に幻滅したかもしれません。
主がロバの子に乗ることは、旧約聖書の預言に従っての事でした。「主が聖書に従った」ことは、「神に栄光を帰す」ことです。しかし「ロバの子に乗る姿」はいかにも貧相です。外見だけで弟子たちは判断した。また歓声をあげて出迎えた人々も、その数日後掌返しをしてしまった。なぜ主はここで「まだ誰も乗ったことのない子ロバ」を求められたのか。それは、「どんな小さなものでも主が用いて下さる」ことを表すためでした。
主はこの後、「地の平和」のために十字架に架けられます。「地の平和」とは、大きな意味では世界平和ですが、小さな意味では「地上の一員である私の平和」ということです。主は私の平和と平安のためにクリスマスにお生まれになったのです。その主が教会の礎となり、今の私たちの傍に居るのです。教会が無かったら、私たちはきっとそれぞれの場所で苦労しつつ生きていたでしょう。今も苦労は変わりません。しかし私たちに休み処があるのです。「天に平和、地に栄光」私たちは今年も主にこの賛美を捧げたい。