21時前後の教会のイルミネーションです。
12/16 教会での礼拝後、ミニコンサートがありました。
12/16 聖壇の様子です。
12/16 ミニコンサートの様子でした。
12/16 お昼の様子です
教会イルミネーションその2 21時前後です。
今日の子ども説教(メッセージ)で読まれた本です。
今週、来週と礼拝は以下の日程で行われます。
12/18 火曜日 15時 徳山聖書研究会
12/19 水曜日 11時 牧師 柳井出張
12/20 木曜日 牧師 呉安浦 出張
12/21 金曜日 牧師 呉安浦 出張
12/22 土曜日 19時 六日市礼拝
12/23 日曜日 10時45分 徳山教会礼拝
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
【ルカ福音書1章26-38節】
ひと昔前「想定外」という言葉を用いて寵児となった経営者がいましたが、最近は「想定外」はもはや通用しないほどになりました。思いや経験を越えた出来事が多発した今年でした。「マリアの受胎告知」も、マリアにとっては「想定外」の出来事だったでしょう。多数の作曲家によって「アヴェ・マリア」には美しく、悲しいメロディが付けられています。ただその原詩を語ったマリアの心境は如何だったのか。それが今日の聖書です。そして聖書はただ昔を語るのみでない。「想定外」に生きる私たちにも語り掛けるのです。
今日の聖書には「ガブリエル」という名前付きの天使が登場します。同名の天使は旧約にも登場します。役割は「幻の解説」です。福音書を書いたルカは「幻の解説」の役割を、天使ガブリエルを通して、エリサベトとマリアに為すのです。エリサベトは主題から外れますが、マリアにとって妊娠とは「幻のような出来事」でなく、「幻であって欲しい出来事」でした。婚約中のマリアですので、妊娠が発覚すれば婚約は当然破談、マリアの身も危ういことになります。具体的には、こぶし大の石で科される石打刑が待つのです。
マリアも戸惑っています。アヴェ・マリアの曲の美しさとは異次元の困惑が広がります。この時マリアはおよそ14歳。将来を夢見る可憐な乙女の、将来も可憐さも打ち砕く残酷な知らせでした。最終的にマリアは、妊娠を受容しますがその過程には、理不尽を嘆く気持ち、困惑の思いが行き交ったのでしょう。ここに私たちとの関連性、連続性を見出すことが出来ます。「想定外」の出来事に私たちも日々向かい合っていますから。
そのマリアに「天使」が為したのが「主が共にある」という言葉かけでした。「天使」は「み言葉を運ぶ者」という意味がある言葉です。マリアと同様、私たちもあがきつつ、もがきつつ、諸事を受け入れるしかありません。聖書は教会を通してみ言葉を私たちに運びます。教会は私たちにとっての「天使」の役割なのです。そして、聖書が語り掛けることは「主が共にある」。いかなる出来事に向かい合っても、主と共に前に進みたい。