5/30(日)の防府チャペルの礼拝堂となります。
三位一体主日の色は白。来週からはしばらく、緑の典礼色が続きます。
5/29(土)に行われた、徳山チャペル外の花壇奉仕
・・・こちらではありません。
こちら、ペチュニアと思われます。
今週、来週の予定は以下の通りです。
どちらの集会・礼拝もお気軽にお尋ねください。
6/6 日曜日 10時 徳山C聖書の学び
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
ヨハネ福音書3章1~12節 (新共同訳聖書、新約167ページ)
■ 説教 「神は万事を益と為す」
日課の直前、主が神殿で行った「宮清め (2:13-22)」は、当時のユダヤ教の構造を真っ向から否定するものでした。「人は自らの罪の代わりに金銭や動物をささげ、赦しを頂く。祭司は金銭や捧げられた動物の半分を頂き、あとは神殿の収入となる」という構造を、一時的でも破壊したのが宮清めでした。ただ「神殿を壊せ、三日で立て直す」という主の言葉に、複数の宗教者が興味、関心を抱きました。そのうちの一人が、ニコデモでした。
ただ、出来事が衝撃的だったので、主を昼間に訪問することは考えられませんでした。呼び付けることも選択肢でしょう。しかし主への敬意ゆえ、人目を憚って夜、尋ねました。開口一番、主の大胆さ(1)を称賛します。社交辞令でなく、本心からの賞賛でしょう。しかし主は、ニコデモの訪問の目的を察します。「大胆さの源」を知りたいという思いが一つ。そして、過越祭の元来の意味を深めること、つまり「新しく生まれる」ことへの熱望でした。
主の「大胆さの源」は、神さまとの関わりにありました。主の時代のユダヤ教は「人間の行い」を起点にし、「その多寡」を問うていました。一方で主は「神の愛」を起点にし、人の行いの多寡は問われません。主は、その神の愛を日課に続く「3:16」で高らかに宣言されています。また、「新生」に際しても同様。「風は思いのままに吹く」と主は言われます。神さまのご意思に任せることを告げます。全てのことは、神さまが良く導いて下さるのです。
かつて神はユダヤの人々に「出エジプト後の、新しい生」のため子羊を「導き」となさいました。それが主の時代の「過越祭」でした。主は、「新しい過越祭」のようなものとして、やがてご自身を十字架にて捧げられ、導きのしるしとなりました。ニコデモは、ここでの主の言葉を受け止めたと察します。7章では主を弁護し、19章ではご遺体の主に敬意を表し、復活の主に出会えたでしょう。神さまのご意思とは、今日を生きるあなたと共にあります。