6/27(日)は、宇部教会での礼拝でした。
シオン教会は、西教区の中で「西中国地区」に位置しています。
地区の行事の一環でした。
素晴らしい礼拝堂でした。
こちらも、徳山からは一時間強で行ける教会です。
山口県、中西部の町です。
温かみのある礼拝堂でした。
今週、来週の予定は以下の通りです。
どちらの集会・礼拝もお気軽にお尋ねください。
6/29 火曜日 牧師 広島県出張
6/30 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
■ マルコによる福音書5章21~43節 (新共同訳聖書、新約70ページ)
■ 説教 「起きなさい」
昨年の春、私たちの耳目に耳慣れない言葉「ステイホーム」が突然、届きました。唐突に自身の行動が縛られる事実を、戸惑いつつ受容せざるを得なかった私たちでした。ことの是非は後代の判断でしょうが、渦中にいる私たちは、今も随分と不自由な思いを強いられてます。旧約聖書のレビ記15章には、男女の性に関わる規定が記載されています。今の感性からすれば差別的、当時の感性では「普通」とされた出来事に、主が挑まれます。
「社会からの監視と阻害」が「長血の女性」の主に出会うまでの日々でした。「家に留まって」いたのです。一方で主は、「ゲラサ人の地方(5:1)」から帰られました。医者と見なされていた主のもとに、会堂長ヤイロが、娘の生死に関わる助けを求めます。主は湖から町中へ、群衆も膨れ上がります。ここで主の噂を聞いた「長血の女性」が動き出します。「家に留まる」女性にとり、主と出会うことは不要不急でなく、まことに必要なことだったのです。
この女性は、主の衣に触れることによって癒されました。後に主は「あなたの信仰があなたを救った(34)」と言われます。いわゆる儀礼的、典礼的な姿は示していません。主の噂を聞き、すがる思いで身を「起こし」、主の衣に触れた姿を「信仰」と見られます。信仰とは、諦めず、たゆまず、「蛇のようにしぶとく」求め続ける姿をも言うのです。否、むしろここで「起きなさい(41)」という主の御声の思いが、この女性にも既に届いていたとも言えます。
そしてヤイロとその娘。女性が癒されたとき、娘は死に、ヤイロは娘の知らせを受け取った直後でした。主はただ「信ぜよ」と言われます。先と同様に、儀礼的、典礼的な信仰の姿ではなく、女性と同様、諦めず、たゆまない姿を言います。「起きなさい」この声を、ヤイロの娘も私たちも、やがて聞くことになるのです。しかしそれ以前に、私たちは「身を起こし」今週も主のみ言葉に養われるために礼拝に集っています。このみ言葉の中に、命があります。