8/1(日)は、平和を覚える主日でした。
写真は、徳山の礼拝堂となります。
写真はその一部です。
まだ、日が高いのですがこれでも午後6時45分前後です。
今週、来週の予定は以下の通りです。
今週の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
■ ヨハネによる福音書6章24~35節 (新共同訳聖書、新約175ページ)
■ 説教 「白いメシが食べたい」
「目前で友の命が、機銃掃射で断たれた」という思い出を持つ方を去年、見送りました。敗血症で、高熱の末ご召天された病身のお兄様から、間際に「白いメシが食べたい」という声の証しを聞き2年が経ちました。人生の断片を聞いたわけですが、当事者や近しい方々は、その思い出をどれほど詮無く、切なく受け止めたか。同様に今の私たちもそれぞれに日々「戦い」の中にあるものです。自身の思いを諸所、四方に向けて、生きる者です。
今日のみ言葉には「永遠の命に至る食べ物 (27)」とあります。この箇所は「五千人の給食(1-15)」「湖上歩行(16-21)」に続きます。直前で主は、奇跡を通し人々の「心身(身→心)」を満たされました。ただし、一時的でした。パンを食べてもお腹がすく、奇跡を見ても目前の他に心を奪われる。これを普遍化すれば、問題解決後、即座に次の問題に苛まれることです。主は人の現状から、「永遠の命」に至る支えを「食べ物」で示されるのです。
主を追う人々は「永遠の命のパン」を求めます。主は彼らに「ただ、信ぜよ(29)」と告げます。更なるしるし(奇跡)を求める人々に対し、主はしるしを示されません。彼らがモーセを引き合いに出し、モーセとの比較で主を試したからです。古事をほうふつとさせます。この一連の出来事で、主の弟子たちが徐々に離れます。「ひどい話だ(60)」の言葉や、実際に離れてゆくユダが(71)登場します。そして主は完全に身一つで、十字架へ赴かれます。
しかし復活して、その後主はいかなる時代に於いても、生きる人々の支えとなりました。軍事行為ですので評価が別れますが、「キリスト教公認」の切欠の一つは「ミルウィウス橋の戦い(312年)」。主の旗を掲げた軍が、士気を挙げたのです。主は「戦う人」と共にある確信が、人々を勇気づけた。かつて、戦った人たちを思います。過去の歴史で、戦いは不本意だったでしょう。しかし、今昔の戦いを経、永遠に向かって生きる者に、主が共にあります。