2021年8月22日日曜日

8/21.22 礼拝と献花、外のオクラ

 

 こちらは、徳山チャペルの外にあるオクラです。

収穫のたびごとに、近隣の枝を切り落とすのは少し、心が痛みます。

こちらは、徳山チャペルの本日の献花。

ケイトウの花。毛糸のようです。

今週、来週の予定は以下の通りです。

8/25 水曜日  19時 六日市チャペル礼拝 ※予定です
 
8/28  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
 
8/29  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
       15時30分 防府チャペル礼拝
 
9/1 水曜日  六日市チャペル礼拝 ※ 予定です
 
9/4  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
 
9/5  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
       15時30分 防府チャペル礼拝 
  
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

今週の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。

 

 説教            「神さまは人間の破れを直す

 「全てに時がある」と、旧約コヘレト(1036)は語りました。自身や身近を思いつつ、この言葉に日々出会う私たちがいます。この夏、通読したヨハネ6章には、一つの共通したテーマがあります。それは「強から弱へ、大から小へ」という人間の自然な状況と、そこに変わらぬ注がれる主イエスの愛の眼差しです。「コヘレト」という箴言のみは、自身の状況を目の当たりにさせられますが、それを共に受け止めて下さる主の思いを今日聞きたい。

 

 それで、聖書が語る「強から弱へ」の2つのことを見ましょう。一つ目は「主を求める人々の数」です。6章冒頭は「五千人の給食」でした。集う人々の求めは、目に見える奇跡でした。続いても「湖上歩行」。当初、主は「奇跡」の要望に向き合っていましたが、中盤から後半では「心の満たし」を語るのです。集った大勢の人々は徐々に離れていきます。そして今日の聖書では、12人ではない他の弟子たちが「実にひどい話だ…(60)」と呟くのです。

 

 二つ目は、「弟子の心」です。日課後半では、離れ去る弟子たちの姿とは対照的に、ペトロの「私たちは誰の所に行きましょう」(私たちの居場所は、主の他にない)という言葉が記載されています。しかし、この後の展開はご承知の通り、この言葉の真逆を行くペトロたちでした。しかもこのヨハネ福音書は、ペトロの体たらくを克明に描写するのです。それぞれに、強い時があった人々や弟子たち、ペトロたちでした。けれども、凋落をするのです。

 

 旧約聖書の神さまは、「熱情の神」であり「怒る方」でした。いわば「峻烈な父」の像があります。一方で主イエスはその世界観の中で苦しむ人々と共にありました。加えて、これは主独自のものでしたが「峻烈な父」に「叶い得ない子ども」を取りなす「母」の像をも見て取れます。「弱い所に働く神の愛(2コリ129)」の表れなのです。時の流れの中で、自身や近しい者の「弱さ」を見つめざるを得ません。そこに注ぐ、主イエスの眼差しを思います。s。