6/12(日)の徳山礼拝で捧げられた献花です。
アジサイ。白、紫、紅とあります。
信徒の方の庭のものだそうです。
先週は典礼色は赤、今週は白となります。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
6/15 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
6/18 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
6/22 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
6/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ ローマ/Romans 5: 1~ 5 (新279)
5:1このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
3そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
5希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
■ ヨハネ/John 16:12~15 (新200)
12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
■ 説教 「つながりに生き、生かされる」
「今、理解できないこと(12)」を、私たちは抱えます。弟子たちも、同様でした。時は「主の告別説教(14-17章)」、なぜユダが、どうしてペトロが、という問いは考えても答えが出ません。群れの先行きや、最終的には自身の先行きを思う中で、主のみ言葉がどれほど弟子たちの心に収まったか。「うわのそら」でしょう。ただ、主のみ言葉は、根付く力も強いのです。荒れ地のような弟子たちの心にも、み言葉の花が咲く(イザヤ35:1)のです。
さて、度々のことですが、この場面は「主の告別」で、「ユダの逃亡とペトロの裏切り予告(13章)」が為された流れに位置しています。主はその状況に直面する弟子たちに多くのことを言われます。特に印象的な言葉は15章にあります。「私はブドウの木、あなたがたはその枝である」。「わたしがあなた方を選んだ」。ここには主との繋がり、主に用いられる出来事が記載されています。一方で弟子たちの心情は、これらの理解には至らないのです。
理解に至る時は、不確定に見えます。聖霊が来ることで、今まで主が語られた一切のことを教えるとあるからです。「主よ、いつですか、いつまでですか」。古くはヨブが、今は私たちも折に触れて問う問いでしょう。弟子たちも、このみ言葉を聞いた後に主の元を離れ隠れている時、ペトロに至っては裁判所での尋問の時、問うたことでしょう。中世の祈りに「聖霊よ、来てください(Veni sancta spiritus)」があります。時を待つのみ、なのです。
しかし、ただ茫然と待つのではありません。神が主に、永遠のみ国を用意された「栄光(14)」に、私たちも預かる約束を得つつ、待つのです。何よりも、主ご自身が弟子たち/私たちと「つながり/友である」というみ言葉と共に待つのです。弟子たちの心に起きた個々の出来事、私たちの個々にある出来事に、主が思いを寄せてくださいます。今の困難や苦しみも、私たちだけのものではありません。その思いに立ち、時を待つ群れでありたい