6/8 牧師室です。
クリスマスのポインセチア、そしてシクラメンがまだ咲いています。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
6/8 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
6/11 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
6/15 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
6/18 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ 使徒言行録/Act 2:1~6 (新214)
1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
■ ヨハネ福音書/John14:8~11(新196)
8フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示し下さい。そうすれば満足できます」と言うと、 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示し下さい』と言うのか。
10わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
11わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
■ 説教 「戒めから支えへ」
フィリポという弟子の記録は、ヨハネ福音書に集中しています。他の福音書では名前だけの登場に対して、この福音書では「最初の伝道者」として記されています。友人ナタナエルを主に紹介し、自身も共に主の弟子となります(1:43~)。また、「五千人の給食」にも登場し、現実に即し理性的に答えます。(6章)。ただ、日課では「伝道者」の側面はなく、「心が騒ぐ(14:1)」弟子として、「理性的」に主を除いてしまう、素のままの姿があります。
日課は『告別説教』の一幕、主は弟子たちに、「奴隷」の仕事である洗足を行い(13章)、弟子たちと共にあることを示します。しかし、ユダが出て行き、ペトロの離反が告知されます。先行きの不安から、フィリポは「神さまを示して下さい(8)」と言います。主に幻滅する一方、神さまのみが現状を変革し得ると思ったのでしょう。主は、神さまと自身との同一性、これまでの言葉が神さまのものと言われます(11)。「ただ信ぜよ」の言葉が響きます。
主のこのお言葉がどれほどフィリポの耳に届いたか。確かなことは、18章以降でフィリポを含む弟子たちが主を見捨て、我が身保全で逃ることです。ただ、主の約束はこのような弟子たちに、目に見える形で現れます。使徒言行録2章が語る聖霊降臨祭、ペンテコステの時です。その時、フィリポを含む弟子たちは、部屋を出て、大勢に「主の生涯を通して働く神さま」を語り、伝道者として生きるのです。これこそ、キリスト教の始まりと言えます。
かつては一人に伝道したフィリポが、「伝道者/み言葉を語る」ものにされました。聖霊の働きは、「伝道」という一つの形に現れました。本質的なことは、意気消沈/仲間内のみに生きていたフィリポに、主が約束された聖霊が現れ、生き生きと働かせたことにあります。元来「戒め(十戒)」を記念した五旬祭が、「神さまの支え」の記念日になったのです。「心騒ぐ(14:1)」日々は私たちの日常と言えます。その中に生きる時に、支えがあります。