窓からの色を考えると、早朝かと思われます。
防府チャペル記念堂。この一年で、随分ときれいにされました。
教会員のご奉仕です。
今後の予定は、以下の通りとなります。
今後、11月の予定は以下の通りです。
11/18 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
11/19 日曜日 10時 聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
11/21 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝
11/23 木曜日 西中国地区 信徒大会(るうてる秋の大会)
11/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
11/28 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝
12/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
12/3 日曜日 10時 聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆マタイ 25: 1~13 (新49)
■ 説教 「終わりの先にあるもの」
「10人のおとめのたとえ」は、「天の国(1)」を例えたという設定です。聖書が「天の国」という時、対象は二つです。一つは「天国」、一つは「この世」。ここでは「この世」の話です。主の時代には、「終末思想・信仰」がありました。厳しい現状の中、「ご一新」を願う思想ですが、経過である「黙示文学」は「信仰を迫る、心煽る」ものです。しかし主は「ご一新の日(13)」は「婚宴」のような喜ばしい日、そこに向け「日々、為しうることをする」と話します。
「ご一新の日」は、「終わりの日」とも呼ばれます。「その日を確定」する動きがあります。自然災害や戦争などの事象を契機と言われた主の言葉から、現実社会を見る動きです。主は契機(マタイ24)を示すも、今日の個所では「誰も知らない(13)」と言われます。「目を覚ましていなさい(13)」とも言われますが、例えでは「花婿の到来」を待ちかね、乙女たちは皆、眠ってしまったのです。危機意識や不安は、人を疲れさせるという主の思いです。
「終わりの日」には「地上の命の終わり」という意味もあります。実感はそれぞれですが、「終わり」は訪れます。「油を用意する」とは、その時に向けて備える(例えば、整理する)と言い換えられます。個々人にしか出来ないものです。「油を分けないおとめ」や「扉を締め切る主人」など、これは「意地悪」と見られる描写もあります。しかし「その日」に向け、「自分にしか出来ないこと」を行う勧めと促しとみます。地に足をつけて生きる、ということです。
「終末思想」については、キリスト教内でも様々な理解があります。聖書や主による、多様な表現から来るものです。なぜ主が「終末思想を含む思想」を語るか。それは、一人ひとりの「厳しい現状」を見るがためと理解します。だから、煽情的表現を用いず、「婚宴の集い」喜びとし、花婿と結ばれると語ります。私たちも、厳しさを抱えます。その中で主は、一足飛びに「御一新」ではなく、「私たちが、今、出来る事」を見つめるように、優しく促すのです