10/23(水) 久しぶりに神戸教会に出張してきました。
写真は神戸教会、礼拝堂です。
心臓破りの坂を速足で上り、汗をかきました。
天窓のステンドグラスが写せないかと試行錯誤。無理でした。
きれいな花を前に、子どもたちのテンションが上がりました。
週末の更新になってしまいました。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
10/26 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
10/29 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝です
11/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
11/3 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■マルコ10:35~45(新82)
■ 説教 「起きたことは天啓」
主イエスに「コネ」で出世を頼む兄弟弟子、そこに立腹する他の弟子たち。主イエスは彼らに何を言うのか。さて、兄弟弟子は「栄光を受ける時」と言います。主イエスは、直前で「栄光」に触れません。一回目「受難予告(8:38)」の「栄光にて来る」の反映と見ます。
第一朗読は、旧約・イザヤ書の「苦難の僕」です。「捕囚」という苦渋の極致にある同胞に、苦渋に共感する「苦難の僕」を送るイザヤの預言です。主は「僕」をご自身と重ね、苦難の最期を迎えること。また、人の負い目を負う自身を「身代金」として位置づけるのです。
一方、兄弟弟子たちは、直前の「苦難」に触れず、「栄光」に思いが留まります。主の願いである「苦難の同伴者」を理解もしません。しかし兄弟たちは「盃も洗礼も受ける」と、やがて主が語った通り、苦難を辿ります。それは主の復活の出来事と、聖霊降臨後でした。
主は「仕えること」を告げます。ディアコニアという言葉の語源で、原意は「チリかぶり」です。「額や心に汗をかく」ことで、チリは見えます。弟子たちは「共有の社会(使徒2:44)」の中で、実行します。「起きたこと」に対し、額や心に汗をかいて日々を過ごしたい。