2024年10月13日日曜日

10/12.13 防府、徳山、柳井

 

 ある日曜日の防府チャペルの様子。聖壇のお花も秋となりました。
 柳井の様子。
 下松の海岸。遊歩道が海にせり出している「はなぐり海岸」です。
 こちらは柳井。秋のお花の代表格、コスモスです。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

10/19 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/20 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

10/22 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

10/26 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/27 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■マルコ10:1722 (81)

 説教              「背を見る瞳」 

    「富める青年」は「永遠の命」を求めていました。「陰府」でなく「豊かなみ国」への願いと言えます。青年は、単独・孤独という意味の「陰府」への出立を望まなかったのです。その青年に主は、十戒5~10項を問います。これらは青年に実行出来ているものでした。

 

主が、安息日の礼拝規定(4項)を外したことがここの肝要なことです。礼拝規定は、礼拝行為の勧めのみではありません。安息日は、隣人を物心で覚えることを目指します(レビ23:38)。主は青年の「関係の希薄さ」に気づき、「関係を創る」ことを勧められます。

 

これを厳しいとと取る青年は主のもとを去ります。その青年を主は「慈しんで」見送ります。単独・孤独から脱したかったために主のもとを訪ねたのでしょうが、その状況は続くのです。モノに、自己に執着する人を覚えた主は、やがてご自身の全てを差し出されました。

 

主は彼を「慈し」みました。「慈しみ」とは、深い情愛と言い得ます。つまり、自己を惜しみ、他者への愛に踏み出せない私たちの姿です。そこに主は究極の自己放棄をなさいました。私たちはその主との関わりに生きています。「単独・孤独」なこの世の人々を覚えましょう。