ある日曜日の防府チャペルの様子。聖壇のお花も秋となりました。
柳井の様子。
下松の海岸。遊歩道が海にせり出している「はなぐり海岸」です。
こちらは柳井。秋のお花の代表格、コスモスです。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
10/19 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
10/22 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝
10/26 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
10/27 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■マルコ10:17~22 (新81)
■ 説教 「背を見る瞳」
「富める青年」は「永遠の命」を求めていました。「陰府」でなく「豊かなみ国」への願いと言えます。青年は、単独・孤独という意味の「陰府」への出立を望まなかったのです。その青年に主は、十戒5~10項を問います。これらは青年に実行出来ているものでした。
主が、安息日の礼拝規定(4項)を外したことがここの肝要なことです。礼拝規定は、礼拝行為の勧めのみではありません。安息日は、隣人を物心で覚えることを目指します(レビ23:38)。主は青年の「関係の希薄さ」に気づき、「関係を創る」ことを勧められます。
これを厳しいとと取る青年は主のもとを去ります。その青年を主は「慈しんで」見送ります。単独・孤独から脱したかったために主のもとを訪ねたのでしょうが、その状況は続くのです。モノに、自己に執着する人を覚えた主は、やがてご自身の全てを差し出されました。
主は彼を「慈し」みました。「慈しみ」とは、深い情愛と言い得ます。つまり、自己を惜しみ、他者への愛に踏み出せない私たちの姿です。そこに主は究極の自己放棄をなさいました。私たちはその主との関わりに生きています。「単独・孤独」なこの世の人々を覚えましょう。