2024年9月25日水曜日

9/21.22 柳井、徳山、防府

 

 9/22(日)防府の礼拝堂です。緑の典礼色に、紅い花。


 9/23(日)徳山の礼拝堂。落ち着いた雰囲気ですね。


 9/21(土)柳井の礼拝堂。説教壇には「信望愛」のうち、信。


今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

9/28 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/29 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

10/1 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

10/5 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/6 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

◇マルコ9:33~37 (79)

 説教              「小さくされた人々に」 

    聖書は、大人と子どもの線引きとして、律法の教育(申11、箴22)の有無を示します。子どもは「未熟」と見なされます。しかし主は「子どもの受容」が、救い主や神を受容すると言われます。主は子どもとの関わりを通して、神や主イエス自身の姿を説かれるのです。

 

   主の言葉の背景は、弟子たちの「誰が偉いか」の議論でした。「主の弟子間」の偉さですから、実績を披露し、相手を暗に否定したのです。直後でヨハネが功績を誇る通りです。結論は、弟子間の序列です。その結論に主は、当時「半人前」と見られた子を提示します。

 

   子どもに限らず目の前の人の受容は、状況と事柄に依り、容易にも困難にもなります。しかし神や主イエスは、状況と事柄に依らず、人々を受容されました。ここで主は「子ども」の受容を試みることを通し、自身を含む、全てを受け入れる神さまを覚えることを勧めます。

 

   「一番先になる(35)」価値観は、競争の原理となります。社会を発展させた考え方でしょう。競争だけでは疲れることもありますので、「休息」も必要となります。カファルナウムの「家」にいた子どもも、主の基に集い、休むのでしょう。今日、そのことは私たちも同じです。