2/9(土)柳井に行く直前の製作。たぶん、うさぎでしょう。鬼かな?
こちらは朝の徳山礼拝堂。
すこし紅くなってきました、防府の梅。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
2/11 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。
2/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
2/18 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝
2/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
2/23 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■ルカ5: 1~11 (新109)
□ 説教 「実らない努力も大切?」
努力しても結果が出ないことがあります。この日の聖書では、漁師たちが「実らない努力」を思い「網を洗う」のです。主はそのような「人間の現実」に入られます。これが、マタイ、マルコの「弟子入り」と異なる所です。人が直面する現実に、主もまた立たれるのです。
時は朝、人々が主を囲み、「仕事探し」を脇に置いて話に耳を傾けています。ところが漁師たちは主に興味なく、「徒労の後始末」をします(2)。漁師たちは、伝道の助けはします。「姑の癒しの感謝」でしょうか。しかし「沖で網を降ろしなさい」の言葉に、難色を示します。
「先生」とは「律法の教師」という意味です。漁師たちは、主は教師、自分たちは漁師と分け、労苦を示します。「夜通しの苦労(5)」を述べた後、船を出します。すると大漁の出来事の後、漁師たちは「主よ」と、主イエスの呼び方を変えます。そして弟子になるのです。
神さまは常に働く方です。そこに気づくのは、波がある「現実」の中で「不調」の時が多いと語るのがこの聖書です。「ゲネサレト」という湖はガリラヤ湖の旧名で、こちらも為政者の変化と共に名称が変えられました。変わりゆく出来事の中、変わらない主を覚えたい。