2/23(日)徳山礼拝の説教題は、「ありがとうに花束を」
1か月前の自分のテンションが、正直思い出せない説教題となっています。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
2/18 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。
2/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
2/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
3/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
3/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■ルカ6:17a,20~26 (新112)
■ 説教 「負の現実で神は働く」
「山上
(マタイ5)」で教えた主イエスは、「平地(17節)」におられたとルカは記します。主は人々と「同じ目線」の意図を示すのです。ルカ福音書のこれまでの「地に平和」「鳩のような聖霊」は「人と共にある神の姿」を示すものでした。「平地の説教」も同様です。
さて「貧、飢、泣く、迫害」は、なぜ起こるのでしょうか。「社会の構造」の根幹には、宗教の原始的な理解がありました。ヨブ記で「友人(ヨブ8)」は、それらの「困難」を「神の祝福の欠如」と結論付けます。主の時代にも残っていたその原始的な理解に、主は向かいます。
このような「祝福の欠如」からの回復には「罪の告白、贖い」が必要でした。「神に近づき、許しを得る」のです。しかし主は「回復しえない人々」に「祝福を告知」されました。「主が近づき、共に交わる」のです。「同じ位置での活動」を、平地で弟子たちに示すのです。
「負の現状は、“不信仰”由来か」という考えは、古くて新しい教えです。少なくとも主が導かれた教えは、そのような「因果応報」を排除します。弟子たちも、やがて「苦しみを喜ぶ(1ペトロ4:13)」という観点に変えられるのです。今の現状に、主が共におられます。