2025年2月4日火曜日

2/1.2.4 六日市の雪道、柳井、防府、徳山

 

 2/4(火)六日市の教会員から教えて頂いた「アイ・キャン」の「錦町県境」

 ライブ配信画像です。2/4(火)10:47現在、良く通る「山賊」という

飲食店の上(かみ)がこのような状況になっています。自然の前には、無力なことを思います。今日の礼拝も、家庭礼拝となりました。

 2/2(日)防府の礼拝堂。手前の紅梅のつぼみがだんだん膨らんでいます。
 2/2(日)朝の徳山礼拝堂。
 2/1(土)柳井礼拝前の様子。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

2/4 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。 

2/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/11 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

2/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/16 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ4:2130 (108)

 説教            「あなたの道は寂しくない」 

    ナザレ村での「安息日」礼拝は、「主の十字架を予見する」結末となりました。「集団の激情」が、主の命を奪う手前だったのです。なぜこの結末に至ったのでしょうか。「集団の激情」は、決して特別ではない人間社会の現実を踏まえ、み言葉を読みたいと思います。

 

ナザレ村を、ルカ福音書は「法令順守」をしない「領主(3:1)」統治下と記します。主は、安息日のナザレの人々のもとに「評判 (4:14)」と共に訪れました。しかし主はイザヤ61章を「報復」まで朗読しませんでした。神の報復よりも「身近な支え」を行う意図でした。

 

評価は「賞賛」と「驚き(22)」でした。「身近な支え」は「賞賛」されたでしょう。 ただ「ヨセフの子(22)」は何か。諸地域を巡る大工の父のように、村に腰を据えない「親子」と揶揄するのです。主は「異邦人対応」の旧約を引用し、多くの民族を見守る神を騙ります。

 

ナザレの人々を一方的な「悪」とは決めません。「特定の民族、自身の村、神の報復」という「従来の形」の信仰だったからです。むしろ主は、特定の人々を重視せず、身近な所での関わりを率先されました。主は「人々の間を通り抜け(30)」、あなたの横におられます。